9月8日「わたしと一緒に楽園にいる」

はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。(ルカによる福音書23章43節)

主イエスの右と左に犯罪人が十字架につけられた。ゴルゴダの丘に三本の十字架が立った。犯罪人の一人は自分の無念さを主イエスにぶつけて、お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」とののしった。すると、もう一人の犯罪人が仲間に、「お前は神をも恐れないのか」と言った。

彼はどうしてこのように言えたのか。彼は自分と一緒に十字架につけられたままの主イエスを身近で見た。彼は、「父よ、彼らをお赦(ゆる)しください」と祈る主の言葉を聞いた。彼は今まで神を信じなかったが、今、彼は十字架につけられた神の御子(みこ)を見た。そして、罪人の自分におののいた。神の戒めなど眼中になく、ただ目的を果たすために、隣人を傷つけてきた自分の罪の恐ろしさに気づいた。彼は仲間に言った。「我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」。彼は自分の苦しみを罪の当然の結果であると認めた。彼は苦しみの極みの中で、主イエスの名を呼び、あなたの御国(みくに)においでになるときには、わたしを思い出してください」(42節)と言った。彼の言葉に答えて、主イエスは今日の聖句を告げた。十字架の主イエスは、自分の罪を悔いる者の叫びに答えてくださる。そして、罪人を無条件に赦し、神の国に招き入れてくださる

人聞が死を前にして取るさまざまな態度に接して、私たちは生き方、死に方を考えさせられる。人生の終わりに、自分が犯した罪を思い、神に罪の赦(ゆる)しを祈って、神の国を約束してくださる主の言葉に身を委ねて死ぬ人は幸いである。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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