6月22日「兄弟を仲裁できるような知恵のある者」

あなたがたの中には、兄弟を仲裁できるような知恵のある者が、一人もいないのですか。(コリント信徒への手紙I 6章5節)

パウロは、コリント教会に信徒同士の争いがあり、世の裁判に訴えるようなことが起こっていると聞いて、今日の聖句で語りかけた。彼は主にある兄弟を世の裁判に訴えようとする信徒に、教会こそ世を裁くものであることを知らないのかと言う。このように言うのは、教会こそ世を裁き、また世を救うイエス・キリストがおられるからである。パウロは教会をそのように信じているので、コリント教会がさまざまな問題を抱えていても失望しない。ダメな教会だとも言わない。彼は教会を愛して語りかける。

教会も人間の集団であるかぎりさまざまな問題が起こる。その問題を自分の痛みとして受け止めないで、騒ぎ立てる人が問題である。「知恵のある者」とは、この世の知恵者ではなく、教会を愛する者である。教会の主はキリストであると信じて、問題を教会に与えられた課題として受けとめる者である。パウロはコリントの信徒たちがそういう「知恵のある者」であることを期待している。

パウロは争いの当事者たちに、キリスト者同士が争うこと自体、どちらが正しいかに関係なく、すでに敗北であると言う。そして、自分の権利を貫くことよりも、むしろ不義を甘んじて受けるようにと勧める。その理由は、キリスト者は「聖なる者」、神のものとされているからである。汚名をそそぐことは、神に任せるべきである。自分が当事者になると、そうできないという思いが先立つが、自分にはできないから、祈る。神は祈る者に聖霊を与え、御心(みこころ)をなさせてくださる。

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