5月31日「わたしの言葉は決して滅びない」

天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。(マルコによる福音書13章31節)

主イエスは、今の天地は永遠に続くのではない、終わりが来る、その時、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて」現れ、選ばれた人たちを呼び集める、と言った。終わりの時は新しい世界の始まりである。その時、主イエスを信じて、待ち望んでいた人たちは、主を「見る」のである。今私たちは私たちを救い、持ち運んでくださる主イエスを信仰の目で見ている。だが、それは「鏡におぼろに映ったものを見ている」と言わざるを得ないのが実状である。しかし、その時には、「顔と顔とを合わせて見る」(Iコリ13・12)。終わりの時は、万物が更新される新天新地の始まりである。

冒頭の「わたしの言葉」とは、ご自分の血をもって私たちの罪を赦(ゆる)し、神と和解させてくださる主イエスの福音である。私たちは十字架の死によって私たちの罪を贖(あがな)い、復活して「あなたの罪は赦された」と語ってくださる主の言葉を信じて、終わりの日は神の裁きの日ではなく、救いの日に変えられた。世の終わりも、死も、もはや恐れではない。「終わりの日」は、私たちの救いが成就する喜びの時である。

主イエスは「終わりの日」を、木々が枯れてゆく冬ではなく、木々の葉が繁り、新しい命がみなぎる夏にたとえて、「夏が近づいている」と言う。主はこのたとえによって、私たちが「終わりの日」を暗い気持ちで待つのではなく、新しい命がみなぎる「主の日」として待ち望むようにと語られた。そして、繰り返し、「目を覚ましていなさい」と言われる。私たちは神に遣わされた場所で、各々の仕事に従事するのであるが、これに埋没して「主の日」を忘れることがないように、目を覚ましていなければならない。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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