3月24日「キリスト・イエスを通して、明らかになるでしょう」

そのことは、神が、...人々の隠れた事柄を、キリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。(口ーマの信徒への手紙2章16節)

神は人間に神の御心(みこころ)を行うことを求める。人間は応答責任を持つ者として神に創造されたからである。神の御心は、聖書に記されている律法に啓示されている。終わりの日に、神はご自分の義を示すために、律法によって人間を裁く。

しかし、律法を知らなかった者が裁かれるとすれば不公平ではないのか。パウロはこの問いに答えて、律法を知らなかった人間も「律法の要求する事柄がその心に記されている」(15節)のであり、このことは彼らの「良心」が証明していると言う。そして、今日の聖句によって、すべての人間の心に神の律法が記されていることは、神の裁きの日に明らかになると語る。

良心とは、神の律法をキャッチするアンテナである。悪いことを企(たくら)むと、良心がその悪を告発する。また、良心は「お前の人生はこれで良いのか」という神の問いかけをキャッチする。人間の心には律法が記され、良心がこれを証明しているので、律法を知らない者も神の裁きを免れることはない。この地上には不条理な悲しみが満ちていて、どこに神の義が支配しているのかと思われる。しかし、人間に誕生と死があるように、この世も終わりが来る。その日、神は行いに応じて人を裁き、ご自分の義を示される。しかし、私たちのために御子イエス・キリストを与えてくださった神を信じる私たちは、裁きの日を恐れない。その日、私たちが「顔と顔とを合わせて」(Iコリント13・12)仰ぎ見る神は、罪を裁く義なる神であるが、私たちの罪を御子によってまったく贖(あがな)われた慈愛の神であるから。私たちはその日に備えて、今日も、神の義と慈愛に応えて、神の御心を行う。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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