2月2日「だれでもわたしのもとに来なさい」

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(マタイによる福音11章28節)

主イエスは貧しい者、病気で苦しむ者、子どもを失って悲しむ者、社会から見捨てられた者を訪ね歩いて、今日の聖句を語った。

重荷を負う者を招く主イエスは、「わたしの軛(くびき)を負いなさい」と言う。主イエスの軛を負うとは、主と共に荷を背負う二人三脚の人生である。主は「重荷を共にしよう」と言うのである。主が私の重荷を一緒に負ってくださるので、私の重荷は軽くなる。そして、私も主の重荷を負わせていただく。それによって、私は一人ではない、主イエスと共に生きる人生、主のために生きる人生を歩むのである。主イエスと軛を共にすることは、それが苦しみや悲しみの伴うものであっても、神の恵みと守りを経験する感謝の人生である。

重荷を自分だけで負わず、主イエスのもとに来て、重荷をおろす者は幸いである。重荷を降ろして主の御許(みもと)で憩うならば、魂の休みとともに、新たな力が与えられる。主イエスは一人ひとりの重荷を知っている方、御許に来る者の重荷を負ってくださる主、魂に休みを与えてくださる神である。「神よ、あなたは私たちの魂をあなたに向けて造られたので、私たちは御許に帰るまで魂の休みを得ることはできません」(アウグスティヌス)。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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