マイク・ペンス副大統領はどのようなクリスチャンか 副大統領候補の討論会

11月3日に行われる米大統領選に向けて、副大統領候補である共和党のマイク・ペンス副大統領(61)と民主党のカマラ・ハリス上院議員(55)による討論会が7日夜(日本時間8日午前)、ユタ州ソルトレークシティーで開催された。

【ノーカット】アメリカ副大統領候補 テレビ討論会(2020年10月8日)

 

ハリス氏については、自身が大統領選に立候補を表明したとき、そのキリスト教との関わりについての記事を書いたので、今回はペンス氏の信仰にフォーカスしたい。

派手でメディアに露出することの多いトランプ大統領に比べ、陰で政権を支えてきたペンス氏がここまで前面に出てきたのは初めて。ペンス氏は自身を「福音派のカトリック」と呼んでいる。

トランプ大統領とペンス副大統領(写真:The White House)

2010年に行われたCBNニュースによるインタビューによると、「人生や家族、仕事へのアプローチ」についての質問にこう答えている。

「それはとてもシンプルです。私にとってそれはすべて信仰から始まります。それは最も重要なことから始まるのです。道徳的な真実だと私が信じることを第1にし、政府における私の哲学が第2、そして私の政治的なことは第3であるよう努め、そう見なしてきました」

また、自らの信仰歴を次のように語る。

「ジョン・F・ケネディ大統領がそうだったように、私はアイルランド系のカトリックの家庭に育ちました。ですから祖父母は、初めてのアイルランド系のカトリックである大統領を誇りに思っていたかもしれません」

彼は教会で侍者として奉仕しながら、インディアナ州コロンバスの教区学校に通った。そうして、大学生になって初めて霊的な目覚めを経験する。

「そこでイエス・キリストとの個人的な関係を持つことについて話す友人らに出会ったのです。カトリックの生い立ちと、それが私の信仰に注いでくれた基盤を私は大切にしていますが、そのような経験はそれまでありませんでした」

彼は大学1年のとき、自覚的な回心体験(新生、ボーン・アゲイン)を持ち、超教派のクリスチャン学生グループのメンバーとなる。

「1978年の春、ケンタッキー州にあるアズベリー大学(ウエスレアン・ホーリネス系超教派の大学)で開催されたクリスチャン音楽祭(イクソス音楽祭)で私は立ち上がり、イエス・キリストに私の人生を献(ささ)げたのです。それがすべてを変えました」

ペンス氏はその後もカトリックのミサに出席し続け、カトリックのユース・ミニストリーの働きをした。しかし、95年から彼は家族と一緒に、インディアナポリスにあるグレース福音教会に出席するようになる。米国福音自由教会(スウェーデンの福音自由教会とノルウェーとデンマークの福音自由教会の合併により1950年に設立された)に属する福音派のメガチャーチだ。

討論会では、新型コロナ対策についてハリス氏は、死者21万人以上など客観的なデータを並べながら、「どうして先進国中で最も致死率が高いのか」と問い、政権が国民に情報を隠して対応が遅れたとして、「米政権史上、最大の失敗」と糾弾した。それに対してペンス氏は、中国からの入国禁止をトランプ大統領が迅速に決断したことによって「数十万人もの命が救われた」と反論し、「バイデン氏は入国禁止に反対していた」と主張した。

経済についてはペンス氏が、「バイデン氏が大統領になれば増税や規制強化で経済は失速する」と主張したのに対して、ハリス氏は「年収40万ドル(約4240万円)未満の層には増税されない」と反論した。

最後に、「ニュースを見ると大統領候補が足を引っ張り合い、それぞれの支持者である市民同士も争っているが、これでいいのか」というユタ州の高校生からの質問が紹介されると、ペンス氏は次のように答えた。「互いに意見が違って激論を交わしても家族ぐるみのつきあいをしていた最高裁判事がいたように、米国では自由に議論ができ、ディベートが終われば米国民として一つに団結する」。一方、ハリス氏は、「この4年間、あなたが見てきたように分断と憎悪が大きくなったからこそ、バイデン氏は立候補することを決心した」と述べた。

9月29日に行われた第1回大統領候補の討論会では、トランプ氏がバイデン氏の発言を何度もさえぎったのに比べ、今回の副大統領候補討論会は落ち着いた雰囲気で進んだ。しかし、ハリス氏が「私が発言中です」と言い返す場面もあった。副大統領による討論会は今回のみ。大統領候補の討論会は15日と22日に予定されている。

雑賀 信行

雑賀 信行

カトリック八王子教会(東京都八王子市)会員。日本同盟基督教団・西大寺キリスト教会(岡山市)で受洗。1965年、兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業。90年代、いのちのことば社で「いのちのことば」「百万人の福音」の編集責任者を務め、新教出版社を経て、雜賀編集工房として独立。

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