【クリスチャンな日々】第26回 悩みに深いも浅いも大きいも小さいもない!! MARO

主の御名をあがめます。

MAROです。今回もゆるゆると書かせていただきます。よろしくおつきあいくださいませ。

新型コロナウイルスの「第三波」がやってきています。健康的なこと、経済的なこと、経営的なこと、様々なことで不安を覚えている方が多いと思います。同じ「コロナ」という問題にぶつかっていても、それによって人が抱える悩みは十人十色です。「感染拡大防止」を取るか「経済」を取るか、世論は二つに割れていますけれど、それはどちらが正しくてどちらが間違っている、という話ではなく、みんなそれぞれ悩みが異なるので、望む対処法も異なるのだということです。

そんな中で、人によっては「もっと大変な人もいるのに、こんなことで悩んでいる自分はなんと弱くてダメなのだろう」と落ち込んでしまったりします。例えば「会いたい人に会えないのが寂しくて辛いけど、医療従事者の人たちはそもそも毎日の激務で休みさえ取れないんだから、自分がそんなことを言ったらいけない」みたいに。でも、悩みに大きいも小さいも、深いも浅いもないんです。だって、誰だって悩めるのは自分の悩みだけで、誰かの悩みを肩代わりすることはできないんですから。

だから聖書でイエス様は「自分の十字架を背負ってついてきなさい」と言っているんです。仲間の分や他人の分の十字架まで背負えとは言っていないんです。もちろん、悩み苦しんでいる人に寄り添うことは大切です。可能なら助けることも大切です。しかし、悩みを代わりに悩むこと、これは人間にできることではありません。唯一、その十字架を代わりに背負うことができるのは、イエス様だけです。

ちょうど日本シリーズが終わったところですから野球の話をしますけれど、野球には選手それぞれに「ポジション」があり、それによって考えないといけないことは違いますよね。たとえばピッチャーの悩みとバッターの悩みは違うわけです。でもそこに「ピッチャーの悩みの方がバッターの悩みよりエラい!」なんていう序列はありません。ピッチャーはピッチャーの悩みを、バッターはバッターの悩みをそれぞれ一生懸命に悩むことが重要で、その結果、チームが強くなります。レギュラーと代打だとしても同じことです。「1試合に何度も出番のあるレギュラーの悩みの方が1試合に1度しか出番のない代打の悩みよりもエラい!」なんてことはありません。1試合に1度しか出番がないということは、失敗が許されないということですからね。お互いに仲間の悩みを尊重し合うことが、野球に限らず強いチームに必須なのではないかと思います。

同じように世の中でも、人にはそれぞれ神様から与えられた「ポジション」があるんですから、それに従ってそれぞれが自分の悩みを一生懸命に悩むことが、良い世の中を作る上で必須ではないかと思います。少なくともお互いに「お前の悩みはくだらない!」とか「私の悩みの方が重要だ!」なんて、悩みのマウンティングをしているようでは、決して世の中は良くならないと思います。

コロナウイルスがなくたって同じことです。人の悩みは千差万別で、どれ一つとして同じものはありません。あらゆる人の人生は、神様の前ではどれも等しく尊いんです。誰かの人生に価値があって、誰かの人生に価値がないなんてことはないんです。それはいくら地位があっても富があっても権力があっても変わることはありませんし、クリスチャンとノンクリスチャンでも同じです。等しいからこそ、神様はあらゆる人を「ついておいで」と招いてくださっているんです。

自分の悩みなんてくだらない、と思っている方はいませんか。そんなわけですからそんなこと思わずに、堂々と自信をもってその悩みを悩んでください。それは他の誰にも、どんな偉大な人にも悩めない悩みなんですから。その悩みも必ず、神様の計画の一部ですから。誰もあなたの代わりにはなれないんですから。ね。

「政治と宗教と野球の話はうかつにするな」とよく言われますけど、今回は期せずしてそれをみんないっぺんにやってしまいましたね。

さて、明後日からいよいよアドヴェントに入ります。アドヴェントとは「待望節」と言って、イエス様の降誕を待ち望む期間、つまり「クリスマス期間」のことです。真っ暗な馬小屋に光としてイエス様が与えられたように、この悩みの多い時代にも、神様からの光が与えられますように。

それではまたいずれ。
MARO
でした。

主にありて。

 






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