【くめさゆりのDAY BY DAY】第10回 紙と神・好きの関係 久米小百合

「断る」「捨てる」「離れる」この三つは私の嫌いな言葉でございます。ところがこの三文字を奨励されているっていうか、このコロナ禍に率先してされている方も多いと聞くのがそうです、「断捨離」です。私は逆で「繋(つな)ぐ」「拾う」「結ぶ」で生きてきたので半分言い訳ですが物が減りません。とにかく子供の頃からかなり物持ちが良いんです。さらに特定の物の収集癖がありまして好きな物はどんどん増えるばかり。どんな物かといえば文具が一番多いでしょうかねぇ、基本的に紙製品フェチなので^-^; ノート類、便箋、封筒、ラッピングペーパー、付箋からマスキングテープに至るまで我がデスクの引き出しは小物軍団に占拠されております。なぜ減らないかと申しますと、好きで収集しているので消費してしまうのが勿体無くてNG!つまりなくなってしまうのが淋しいからなのです。家族は今日も言います「どんどん使って減らしてよ!」「お母さん、スッキリさせようよ!」

あの、皆様の中にも紙愛が溢れる方もいらっしゃるかと思うのです、二次元のロマンというか。美しい千代紙やポップな柄の便箋など、色や形の魅力はもちろんのこと、紙って儚(はかな)いようで意外とタフだったりするところにも惹(ひ)かれます。和紙などは少しシワッとさせても味が出たり、クラフト紙などはワザと端を破いて面白みを出したり、昔小学校で使ったわら半紙なんかも色々使えます。我が家では100円ショップで買ったわら半紙に、筆ペンで好きな字や形をササっと書いてナンチャッて和風ランチョンマットにしています。これ、ご家族で作ると楽しいですよ。聖句を書いても良いし、苗字や名前を丸で囲んで料亭の印章みたいにしたり、お皿とフォークとナイフを描くと洋食屋にも!食事が終わればそのままゴミ箱行きですが、クシャクシャになったわら半紙に泳ぐヘタウマ文字もまた粋で、雑紙の美学とでもいいましょうか、最後の最後まで楽しませてくれる懐かしきわら半紙も我が生活の友なんです。

とにかく紙が減らない、この歳になると髪なら増えても嬉しいけど紙はダメ。

・・・なのですが、大の苦手な文具断捨離を昨日から始めました。当然サクサクはいきません、当初から始末する気などなかった愛しい物ばかりなのでこれもあれも取っておこうと、引き戻す引力が強くて手放すのが辛い、キリスト者らしくありませんが我が身の業の深さをひしひし感じております。

世界でも有名な片付けと収納のエキスパートの方がこんなことをおっしゃっていました。
「まだ気持ちがトキメク物は捨ててはいけません」

そうだとすると永久にトキメイテいそうで捨てられません。今回重い腰をあげて断捨離を決行してわかったことは、このトキメキと惜しむ気持ちをセットにして捨てること、これが始末することなんですね。辞書には「始末」とは物事の始めと終わりとありますが、辛い終わりは悪い終わりではないかも、とも思えてきました。どうでも良いことは終わっても寂しくないですからねぇ。余韻とか思い出の類も楽しいことばかりでなく、結構痛い思い出も月日が経てば宝物になったりしますよね。

聖書には「あなたのパンを水の上に投げよ。」とあります。パンなんて命をつなぐ大切なものを水に流せってどういうこと?

水に投げちゃったらフニャフニャでもう食べられないです!でも旧約聖書(コヘレト11:1)にあるんですよね、この言葉。大事な物、大切なことを自分ひとりで握りしめているな、というメッセージなのだそうです。私のパンも水に流すときが来たな~、一枚一枚に「ありがとう、またね」声をかけながらゴミ箱に流します。神さまはこんな小さな者の小さな始末に苦笑しているでしょうか。そんなわけで皆さま、ここしばらくは私に可愛い文具や紙製品の情報は入れないで下さいませ。神さまと紙さま、ふたつの神に仕えてはいけません!どうぞよろしくお願いいたします。

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