「福本峻平の本」制作委員会『なぜ君は笑顔でいられたの?』福本峻平 神と人に愛されたその生涯

「先天性大脳白質形成不全症」という難病を抱えながらも、神に与えられた人生をいかに生きるべきか問い続け、”笑顔”で生き抜いた #福本峻平 さんの33年の生涯を紹介したく、このほど出版させていただきました。なぜ彼は笑顔でいられたのか、お読みいただければ幸いです。ー「福本峻平の本」制作委員会

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推薦のことば

青山学院 院長 山本与志春

福本峻平さんを青山学院大学に迎えるにあたり、進行性の難病を患っている彼をどのように支えるべきかを協議し、人の手配、教室や控室の用意などの準備に、教員も職員も多くの時間を費やしました。入学後は、学生達も彼をサポートするために時間と労力と細やかな心遣いが必要でした。しかし、彼に関わった者は誰もが、彼に与えたものの何倍もの励ましを受け、生きる力を与えられ、喜びを受け取りました。そして主の御許に召されてなお、人々の心を揺さぶり続けています。ひたすら主を求めて生きた者の中で働かれる大いなる力を見ました。

帝京大学医学部附属病院脳神経内科 准教授 畑中裕己

初めてお会いした15歳の彼は、メゾソプラノボイスのとても綺麗な声をされていました。思春期特有の振る舞いは皆無でした。すべてに寛容で彼が入院する度にいつしかその場所は職員が自分の話を聞いてもらう駆け込み寺のようになり、彼は微笑んで話を傾聴されていました。成人されてからは誤嚥性肺炎との戦いでした。何度も揷管・人工呼吸器・抜管を乗り越えられていましたが、声帯を閉じて声を犠牲にする咽頭気管分離手術を受ける決意をしていただいた時だけは悲しそうな表情を浮かべられました。その後も大変な闘病生活を送られましたが、携わってきた我々の脳裏には、なお彼の笑顔が輝いています。

(株)のそら 代表取締役 森田健一

私が介護ヘルパーとして出会った頃の峻平さんは、すでに指1本と首と顔のわずかな筋肉しか動かすことができず、気管切開をしたため声も失っていました。常人では想像すらできない絶望や苦痛の中、それでも峻平さんは「笑顔」でした。その「笑顔」につられて私も周りも不思議と笑顔になってしまう。そんな不思議な力が峻平さんにはありました。自分の不遇に嘆くことなくそれを受け入れ、自分なりに必死で生きていこうとされていたのではないかと思います。彼の壮絶で、あの優しい「笑顔」の物語をたくさんの人に読んで頂きたいと願っています。

 

 

 

 

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