神さまが共におられる神秘(40)

「神の憐れみの真実」を認めること

年間第7主日
あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい
ルカ6:27~28

「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(ルカ6・36)とあります。私たちはこのイエスさまのお言葉を深く思い巡らしながら生きたらよいのだと思います。

「あなたがたの父が憐れみ深い」とは、「父である神さまがすべての人と一緒にいてくださる」ということだと私は思っています。父である神さまはその憐れみによって「すべての人と一緒にいてくださる」お方だからです。

私たち人間の中に「過ち」があっても、「足りなさ」があっても、「悪」があっても、「恩知らず」なところがあっても、「罪」を犯していても、父である神さまは「共にいてくださる」お方、「一緒の向きでいてくださる」お方です。これが、「あなたがたの父が憐れみ深い」ということの具体的な中身だと思います。

そのように私たちも「憐れみ深い者となりなさい」とイエスさまはお命じになります。「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」とお命じになっておられます。

では、私たちが「憐れみ深い者となる」とはいったい具体的にどうなることを指すのでしょうか。「あなたがたの父が憐れみ深いように」、私たちが「憐れみ深い者となる」とは、私たちがどうすることを指すのでしょうか。

「あなたがたの父が憐れみ深い」とは、「父である神さまがすべての人と一緒にいてくださる」ということです。そのように私たちも「憐れみ深い者となりなさい」と言われていますが、私たちにとっては、それはどうあることを指すのでしょうか。

それは、「あなたがたの父が憐れみ深い」という真実を認めることです。つまり、「父である神が憐れみ深いので、すべての人と一緒にいてくださる」という「神の憐れみの真実」を認めることです。「神の憐れみの真実」を認めること。それだけ。それが、人間が求められている「憐れみ」なのだと思います。

神さまは憐れみ深い方なので、すべての人と共にいてくださいます。そのことを認めること。これが、私たちが行う「憐れみ」です。

「憐れみ」について具体的に教えるイエスさまの有名な教えを思い出しましょう。

「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」(ルカ6:27~28)

神さまは憐れみ深いお方なので、「敵」にも、「あなたがたを憎む者」にも、「悪口を言う者」にも、「侮辱する者」にも共におられます。だから、私たちはそれを認めなくてはなりません。それが、私たちが求められている「憐れみ」だからです。

そのことを強く祈りましょう。自分を憎んでいる人に「神さまがあなたと共におられます」と祈りましょう。自分を侮辱する人に「神さまがあなたと共におられます」と祈りましょう。自分の悪口を言う人に「神さまがあなたと共におられます」と祈りましょう。それが、私たちが求められている「憐れみ」だからです。共にいてくださるイエスさまと一緒に祈りましょう。

稲川 圭三

稲川 圭三

稲川圭三(いながわ・けいぞう) 1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員をする。97年、カトリック司祭に叙階。西千葉教会助任、青梅・あきる野教会主任兼任、八王子教会主任を経て、現在、麻布教会主任司祭。著書に『神さまからの贈りもの』『神様のみこころ』『365日全部が神さまの日』『イエスさまといつもいっしょ』『神父さまおしえて』(サンパウロ)『神さまが共にいてくださる神秘』『神さまのまなざしを生きる』『ただひとつの中心は神さま』(雑賀編集工房)。

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