神さまが共におられる神秘(39)稲川圭三

そこに一緒にいることは、奪われることのない幸い

2010年2月14日 年間第6主日
(典礼歴C年に合わせ9年前の説教の再録)
貧しい人々は、幸いである
富んでいるあなたがたは、不幸である
ルカ6:17、20~26

今日は年間第6主日を迎えています。今日のミサの中でイエスさまは、「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである」と言われます(ルカ6:20)。

今日の福音は、逆説的な言葉です。普通、今日の言葉を聞いたとき、「なんで貧しい人が幸いなのか分からない」と思います。昨日、中学生や高校生と一緒に今日の箇所を読んだのですが、みんな、「なんで貧しい人が幸いなのか分からない」と言っていました。私たちも似たようなことを感じるかもしれません。

なぜ貧しい人が幸いなのか。また、なぜ「飢えている人々は、幸い」なのか(21節)。「泣いている人々は、幸い」なのか(同)。また、「人々に憎まれるとき、また、人の子(イエスさま)のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸い」と言われるのでしょう。

それは、そのとき、イエスさまがいただいている幸いと一つにつないでいただくからです。貧しいとき、飢えているとき、泣いているとき、そして人から悪く言われ、ののしられるとき、イエスさまの幸いにつながれているのではないでしょうか。

イエスさまは、ご自分の生涯の終わりのとき、十字架の上で釘を打たれ、下から「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と言われました(23:37)。また、十字架の上にいた罪人の一人からは、「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」とののしられたのです(39節)。

でも、もう一人の十字架の上にいる罪人は言いました。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」(40~41節)。そしてその後、その男はイエスさまに向かって言いました。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(42節)。

そのときイエスさまは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(43節)と言われたんです。「今日」というのは、「あと少しして死んだ後」という意味ではありません。「今」という意味です。イエスさまは、「はっきり言っておくが、あなたは《今》わたしと一緒に楽園にいる」と言われたのです。

このときイエスさまは、神さまのところにいます。十字架の上にいて、人から悪口を浴びせられているけれど、神の国にいるんです。

今日、イエスさまは、「貧しい人々は、幸い」と言われました。それは、「貧しい人はイエスさまのいるところに一緒にいるから幸いだ」と言われたんだと思います。飢えている人、泣いている人も、私と一緒にいる。

そして、その幸いは人から奪われることがありません。十字架の上でどれだけ人から悪く言われても、イエスさまが神の国にいることを奪うことのできる人はいないのです。

イエスさまは、貧しい人、泣いている人たちに「幸いだ」と言われました。それは、「私がいるところにあなたがたも一緒にいるから幸いだ」と言われたんだと思います。

反対に、「富んでいるあなたがたは、不幸である」と言われます(24節)。この「不幸だ」という言葉は「かわいそうだ」という意味です。いま富んでいるところは、人から奪われる可能性があるところ、いま笑っているところは、人から取られてしまうおそれがあるところなのです。

たとえば、いい家を作りました。とてもいい家ができて、うれしい、幸せなんです。ところがしばらくすると、隣りの空地で工事が始まりました。「何だろう」と思うと、新しい家を建てているんです。

さて、新しい家が建ち、自分の家より立派な家ができました。そうすると、自分の家はこれまでと何も違わないのに、なんだか悪くなったみたいに、いやな気分になる。幸いを人から奪われた。隣りの人は何も取ってはいないんだけど、何か取られたみたいになる。

けれども、イエスさまのおられるところ、「そこ」に一緒にいるとき、それは人が奪うことはできない。

私たちの人生も一緒です。いろいろな出来事があるでしょう。その中には、人に取られてしまう、人によって意味が失われてしまうものもたくさんあるかもしれない。けれども神さまは、その全部を「良し」としてくださる。それがイエスさまがおられるところだと思います。

「そこに一緒にいる」という幸い。人から取られることのない幸い。「そこに一緒にあなたがたはいるんだから幸いだ」とイエスさまは言っておられるんだと思います。今日、その幸いに私たちも招かれています。そのことを噛みしめたいと思います。

稲川 圭三

稲川 圭三

稲川圭三(いながわ・けいぞう) 1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員をする。97年、カトリック司祭に叙階。西千葉教会助任、青梅・あきる野教会主任兼任、八王子教会主任を経て、現在、麻布教会主任司祭。著書に『神さまからの贈りもの』『神様のみこころ』『365日全部が神さまの日』『イエスさまといつもいっしょ』『神父さまおしえて』(サンパウロ)『神さまが共にいてくださる神秘』『神さまのまなざしを生きる』『ただひとつの中心は神さま』(雑賀編集工房)。

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