【哲学名言】断片から見た世界 アリストテレスの言葉

古典中の古典『形而上学』の、冒頭の言葉

哲学の名言のうちには、一目見るだけで衝撃を受けるようなキャッチーなものも確かにありますが、見た目は少し地味でも、味わえば味わうほどに深く納得される通好みなものもあります。今回はアリストテレスの『形而上学』から、冒頭の言葉を取り上げてみることにしましょう。

「すべての人間は、生まれつき、知ることを欲する。その証拠としては感官知覚[感覚]への愛好があげられる。というのは、感覚は、その効用をぬきにしても、すでに感覚することそれ自らのゆえにさえ愛好されるものだからである。」

この文章は、「これがあの、伝説的な『形而上学』の始めに置かれた文なのです」と言われなければ、そのまま通り過ぎてしまうかもしれません。しかし、この「すべての人間は生まれつき、知ることを欲する」のうちには、哲学者の中の哲学者ともいえるアリストテレスが抱いていた根本直観が、それこそ張りつめるようにして漲っているのです。今回は、この言葉の意味するところをじっくりと味わってみることにしましょう。

問題のテーゼ「すべての人間は生まれつき、知ることを欲する」

まずは「すべての人間は生まれつき、知ることを欲する」の中身を、二段階のステップに分けて読み解いてみることします。

Step1

  私たち人間はその効用を抜きにするにしても、感覚することそれ自体を求めます。「世界で一番美しい風景を見てみたいですか?」と聞かれて、見たくないと答える人はほとんどいないことでしょう。この場合、見ることは、見ることそれ自体のために求められています。人間とは、たとえ何かの役に立つというのではなくとも「美しい風景を見たい!」と思わずにはいられない存在なのであって、旅をするというのはたとえば、このような欲求が存在することの何よりの証であるといえます(「ていうか一度だけでいいから、近くで有村架純ちゃんを見てみたいよウホホゥ!」「生の吉沢亮くんとかマジ尊すぎるんですけど、泣いてもいいですか」等々の方がはるかにわかりやすそうですが、一応「美しい風景」くらいにとどめておくことにします)。

Step2

  さて、第二ステップは「感覚することは、知ることにほかならない」ですが、これは「言われてみればなるほど確かに」という感じではないかと思います。見ること、聞くこと、味わうことなどは改めて考えてみると、「何かについて知ること」以外の何物でもありません。何事も理詰めできっちりと進んでゆくアリストテレスだけあって、非常に理屈っぽい展開であることは確かですが、とりあえず、Step1とStep2から「すべての人間は生まれつき、知ることを欲する」までは進むことができました。

このテーゼを通して、アリストテレスは何を言いたいのか?

問題はこの後です。「すべての人間は生まれつき、知ることを欲する」。普通であれば、「だから何なの?」で終わってしまうところではありますが、アリストテレスにとっては、この事実の意味するところは「だから何なの?」どころではありませんでした。というのも、この事実は、人間が学問の営みに向かって突き進んでゆかざるをえないことの必然性を、くっきりと指し示すものに他ならないからです。

上の文章が、学問の中の学問ともいえる『形而上学』の冒頭に置かれているという点を思い起こしてみましょう。アリストテレスが言いたいのは、人間、色々あるけれど、たまには学問するの「も」面白いよね、といったことではありません。むしろ、学問「しか」ないでしょう、だって人間はまさしく、知るために存在しているようなものなのだから、たとえ他に何の役に立たなくとも、知ることはそれ自体においてこの上なく崇高な営みなのだから、というのが、彼の揺らぐことのないスタンスにほかなりませんでした。

「人間は究極のところでは、学問をするために存在している。」歴史上最大級の学問愛好者(「学問マニア」といった方が正確かもしれません)が言っていることなので、世界観が常人とはかなりかけ離れていることは確かですが、この位に飛んでいるのでないと、万学の父にはなれないのかもしれません。知ることは最高であり、学ぶことは最高である。私たちはそもそも、何かを学ぶためにこの世に生まれてきたのだから。知ることを求め続ける人は、やがて全てのものの生成と消滅とをつかさどるところの〈真理〉に出会うでもあろう。罪ある人間本性は、恩寵を通して完成されるでもあろう。知るという行為への限りない畏敬にもとづいて書かれた『形而上学』の冒頭部の数ページはかくして、哲人アリストテレスの情熱が思うさまほとばしっている箇所なのであって、その部分を読む人は、真の学問の達人とはかくなるものかとの感慨を得られること請け合いです。

おわりに

「すべての人は生まれつき、知ることを欲する」はこうしてみると、アリストテレスの(突き進むところまで突き進んだ)人間観があますところなく凝縮されている名文であると言えそうです。リンネやダーウィンをして崇敬させ、かのハイデッガーをして心酔させたアリストテレスだけあって、その狂気にも近い学問愛はやはり、私たちの常識をはるかに超えています。「確かにそうだよね」と共感するよりも、まずは達人たちのスーパープレイを見て「なんてこった、これ、ハンパではないな……」と驚嘆するのが、哲学の奥義へと近づいてゆくための早道であると言えるのかもしれません。

 






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