【映画】 橋上にひびく水音 『一月の声に歓びを刻め』三島有紀子監督インタビュー

港に着いたフェリーの船尾で、欄干に身をゆだねた女が沖合を眺めている。下船をうながす係員の声が響く。

前田敦子の演じる女れいこは、そうして大阪・堂島へと帰り着く。喪服に身をつつみ、かつての恋人の葬式へ参列したあと彼女は河川敷を歩く。橋の上から、なにかを喚く女の声が聴こえる。れいこが目線を上げると、髪を振り乱した中年女が橋上から周囲へ叫ぶ。

「今から飛び降りるからあ。いくでえ」

川へ飛び込もうとする女を、駆け寄った男たちが取り押さえる。

映画『一月の声に歓びを刻め』の第三章はこうして始まる。「子どもの頃、実際に見た光景なんですよ」三島有紀子監督は微笑んでそう語る。幼い日、父に手を引かれ歩いていた大阪の街で遭遇した彼女を、父とともに助けたのだという。

「しんだるわ、と叫ぶ赤いワンピースを着たおばさんから、ほかの誰よりエネルギーを感じました」

あのワンピースはやはり赤かったのかと、得心する。というのも映画は第三章のみモノクロームで撮られていたからで、かつこの“橋の上で叫ぶ女性”は2022年の三島監督作短編『インペリアル大阪堂島出入橋』にも登場し、リタイア間近のシェフを演じる佐藤浩市が夜の堂島を歩き続けるそのカラー短編において、女が着ていたのはたしかに赤い花柄のワンピースだった。いまや日本映画界に不可欠の個性派俳優となった和田光沙がピンポイントで配役されていることからも、この“赤いワンピースの女”に、三島監督作を読み解く鍵の一つを看て取るのはそう的外れでもないだろう。

大阪・堂島は、三島有紀子が育った街だ。そして47年前のある日この街の一画で、友だちの家へ遊びに行く途中で当時6歳の彼女は、見知らぬ男から性暴力の被害を受けた。『一月の声に歓びを刻め』全編の根底をその体験が貫いている。洞爺湖のほとりを舞台とする第一章では、性暴力を受け自死した娘を悼むトランス女性の苦悩が主題となり、八丈島を舞台とする第二章では、妻を交通事故で亡くし、帰郷した娘が身籠っていることに動揺する男の半日が描かれる。第一章は主人公が洞爺湖の中島を望む場面で締められ、第二章は娘の結婚相手が乗る着岸寸前のフェリーを男の頭越しに映して閉幕する。中島、八丈島、堂島。三つの物語は“島”に紐づけられ、橋や船が物語を互いにつなぐ。

「一面の雪に覆われた湖のほとりで(トランス女性を演じた)カルーセル麻紀さんが、湖面に両手を突っ込む場面があります。れいこが見えたから、と演じたあとカルーセルさんは仰っていたけれど、水を通じて誰かに届くものがあるというように私は感じました」

© bouquet garni films

水が誰かとつながる媒介になっていたのですねと尋ねると、そうですと頷く三島監督は、ながらく水に“死の入り口”というイメージを抱いてきたという。さらに生と死の対立項でいえば、それが本作を撮る間に、生の側へと方向づけられたとも語る。そこで、水が死に近いイメージを伴った由来を聞くと、ふいに三島由紀夫の名が出たことも印象深い。三島由紀夫を敬愛するお父上から似た名を付けられたという監督は、小学生時から三島由紀夫を読み出しており、三島小説に頻出するギリシア神話調の冥界描写が水のイメージを死へ近づけたかもしれないと話す。しかし当時は「ただ、いっさいは過ぎていきます」などキャッチーな惹句を伴う太宰治のほうが好みで、三島由紀夫の一見まわりくどい譬え話の美しさに気づいたのは高校時代へ入ってからだという。

「ただ水の話にかぎらず私のなかには、うつくしいものはかなしいという認識があるんですよね。音楽でも映像でも、うつくしすぎるものはかなしい」

大昔、罪人が流された八丈島には今でも家々に太鼓があり、つらい時に叩くと隣人がやってきて一緒に叩いてくれるという(*1)。 八丈島の寒々しくも凛とした島影へ打ち寄せる波音から始まる第二章の主人公父娘は、劇中で幾度か宙空へ向け太鼓を叩く。妻であり母である女性が事故死した道路端を映すショットが幾度かくり返され、この物語における無音の軸となる。父役・哀川翔と娘役・松本妃代の、各々孤独に歯を食いしばる表情は胸を刺す。結婚相手に前科があることを父から咎められると、暴力の予感を漂わせる父と対峙した娘は全身を弓なりに張って咆哮する。

「人間なんて全員、つみびとだ」

その叫びは、前田敦子演じる第三章の主人公れいこによる次の台詞にも響きあう。

「なんで私が罪を感じなきゃいけないんだよ、やられたのは私だ」

「自分が生きられたように、自分みたいな人のために映画を作ろう。そう決めてから、死ぬことを一切考えなくなりましたし、どんな瞬間を撮りたいか、といったことを考えるようになりました。世界にフォーカスが来た感じです。見えるもの全てが鮮明になりました」(*2)

第一章の洞爺湖編は、トランス女性の元にもう一人の娘が帰郷する場面から始まる。女性へと性転換した主人公を頑なに「父さん」と呼びつづけるその娘は、“父”から「幾つになったの」と聞かれてしばらく沈黙したあと「五十二」とつぶやく。52歳になった。それは撮影当時の三島監督の年齢に一致する。三島監督の語る語彙には、愛読書のひとつだという聖書の余韻がしばしば聴きとれる。映画製作を通して、なにをみつめていくのか。47年がたってようやく語れるようになったこと。映画をつくることの喜び。JOY。監督にとって本作は初めて47年前の事件と向き合う仕事になったが、性被害そのものを描いたという意識はなく、重心はむしろ罪の意識にあるという。

インタビューの終わり、席を立ちながら雑談として三島監督の出身校である神戸女学院校舎のヴォーリズ建築について尋ねると、すでに丸一日を取材仕事に拘束された疲労感も露わであった表情にパッと明るさが戻った。過去には自作映画のロケ地に採用したこともあるその校舎で過ごしたことはたしかに彼女の滋養となり、「芸術作品の中で時間を過ごしているんだという感覚があった」と話す。脚本に基づく物語進行とは別の映像言語として、三島監督作にはその初期から自然や気候、都市や建築など舞台となる風景の質感によって語る強味がある。雪原の白。冬の屋内へ差し込む陽光の温もり。灰空のもと吹きすさぶ風。路地に咲く花の生命力。監督・三島有紀子のフィルモグラフィーにおいて画期作となることは間違いない『一月の声に歓びを刻め』を観終えて、47年という長い橋を渡り終えた感覚さえ湧く。今後の展開が一層楽しみになる。

(ライター 藤本徹)

© bouquet garni films

『一月の声に歓びを刻め』 “Voice”
公式サイト:https://ichikoe.com/
2024年2月9日(金)テアトル新宿ほか全国公開。

【引用出典】

*1 映画本編第2章開始時テロップ
*2 『映画芸術』第469号(2019年秋)p.112

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