映画『福田村事件』の森達也監督が講演 「集団化」に抗い一人称単数で語る重要性

日本カトリック部落差別人権委員会(中村倫明委員長)は7月2日、監督した映画『福田村事件』の公開を9月に控える作家の森達也氏を招いた講演会「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」を開催した。東京カテラドル関口会館「ケルンホール」(東京都文京区)とオンラインのハイブリッドで行われた。

同委員会秘書の奥村豊氏(京都教区司祭)は冒頭のあいさつで、7年前の7月に起こった「相模原障害者施設殺傷事件」以来、宗教が果たすべき役割や問題点を考える中、森氏の作品に触れたことが、今回の講演依頼につながったと明かした。

森氏は、中学生の時に読んだ『クオ・ヴァディス』に衝撃を受けたという逸話も披露。自身の大きなターニングポイントとなった1995年の地下鉄サリン事件を振り返り、出会う信者たちは皆、穏やかで「善良」な人間である一方、凶悪な事件にも手をそめた二面性に驚いたと語った。

その後も、公園のベンチに設けられた仕切り、9.11、中東戦争、ポピュリズムの台頭などに象徴されるように、不安と恐怖が世界中にまん延する中、民族、宗教、言語など、同質の者同士で「集団化」した結果、個が埋没し、集団内で異なる異物を差別し、排斥しようとしてきたと森氏。

世界中のさまざまな虐殺の跡地を巡る中で、アウシュビッツもカンボジアのキリングフィールドも、そこで虐殺に関わった人々は一見普通で、優しく、家族思いの純朴な人間だったものの、集団になった時に何かが狂うことに気づかされたという。

森氏は、積極的に負の歴史として振り返る諸外国と、自らの失敗を振り返るどころか、隠そうとする日本の違いを引き合いに、「戦後の復興は集団化すること、一致することで成り立ってきた。しかし、集団化がもたらした負の部分を直視できているのか」と疑問を呈した。

宗教の持つ価値や、生きることへの希望を評価する一方、「生と死の価値観がひっくり返る宗教は殺戮と親和性があり、危険性がある」とも指摘。

9月に公開予定の映画『福田村事件』は、関東大震災で実際に起こった虐殺事件を描いた作品。香川県から来た15人の行商団が朝鮮人と間違われ、9人が村の自警団に殺された。森氏は、被害者の視点だけでなく、なぜ村人が他者を虐殺するまでに至ったのかを問うため、加害者側の視点に重点を置いた作品でもあると紹介した。

講演後、どうすれば「集団化」を回避できるのかという問いに森氏は、集団の中にあっても「私たち」ではなく、「私」という一人称単数で語ることの重要性に触れ、「主語が変われば述語が変わる。集団の中にいてもいいが、それでも自分の主語は一人称単数であることを意識してほしい」と答えた。

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