『街の牧師 祈りといのち』刊行記念で沼田和也牧師が末井昭氏と対談 「出会いを通してイエスを感じる」

かつて自身が精神を病み、精神科の閉鎖病棟でも過ごした経験を持つ牧師の沼田和也氏が、生きづらさを抱えた人々との対話を通して感じたことを綴った『街の牧師 祈りといのち』(晶文社)=写真上。その刊行を記念して「死にたいほどつらくなったら、連絡をください」と題するトークイベントが3月3日、代官山 蔦屋書店(東京都渋谷区)およびオンラインで開かれた。対談の相手は、同書の帯文を担当した作家でエッセイストの末井昭氏。

末井氏は本書の感想として、著者の沼田氏には「悩む力がある。時に牧師でありながら、信仰的にも悩み揺れ動く。そこに人間らしさ、魅力がある」と語った。

沼田氏は自身の履歴から、信仰をもつに至った経緯や、牧師になるとは考えてもいなかったものの、学び直したいという思いと主治医の勧めから関西学院大学神学部に入るまでの歩みを振り返った。

両氏はそれぞれのキリスト教との出合いや影響を受けた出来事などを通して、「イエスのように生きる」生き方についても語った。沼田氏は「人が変わる変わらないというより、変わりたいと思うかどうかが重要だと思うが、私の教会にたどり着く人は変わるか変わらないか以前に疲弊しきっている」とし、生きづらさを抱える人と向き合うこと、向き合って相談ができる場所が必要とされていると語った。

後半では末井氏の著作『自殺』や『自殺会議』の内容を取り上げながら、重苦しく避けられがちな自殺や、死というテーマについてユーモアを交え、当たり前のこととして話せる社会になっていけたらとの希望を共有。

沼田氏は、教会に相談に来る人たちの多くは普段、弱音や苦しみを抑えている人たちだと語る。「他の人にどう言えばいいのか分からない、死や苦しみについて話をしに来てくれる。いざ苦しいことがあってもなかなか人に言えない。身近であるからこそ言えない人がいる」。男性の自殺者が多い理由について、「小さいころから弱音を吐くことをせず、我慢してがんばろうとする傾向が強い」と指摘。

精神病棟での体験も振り返り、精神的な苦しみを持つ人自身はもちろん、それを受け入れる病院の現状とのジレンマについても語った。「精神病棟に入った初日、大声を上げている車椅子の入所者を看護師が叩き、壁に頭をぶつけて黙らせる光景を見た。ある時、夜勤の看護師から『私たちもくたくた。限界なんです』という言葉を聞いた。暴力は絶対にいけないが、誰が悪いと一方的には言えない側面もある」と複雑な現実について吐露。

質疑応答で「生きづらさと宗教の役割について」問われると、沼田氏は「小さな教会の牧師だが、何かを少しでも発信することで、この世の価値観や生き方とは違う視点を分かち合える」と応じた。また「イエスを身近に感じる時」についての問いには、「人とのつながりを通してイエスを感じる。劇的な経験というより、他人との出会いを通して事後的に感じることがある。ある人との会話で、事前に話そうと思ってもいないことを話し、それが相手に響いたりする。そういった時に『聖霊様』が下ったと感じることがある」と答えた。

『街の牧師 祈りといのち』は、沼田氏の『牧師、閉鎖病棟に入る』(実業之日本社)に続く2冊目の著書。

 本書のなかで、わたしは自分が遭遇し、巻き込まれてしまったイエス・キリストの話を語っていくだろう。それはキリスト教についての神学的な叙述にはならない。なぜなら、わたしがこれから話すことは、そのほとんどすべてが、目の前に現れた他人たちとの出遭いについてだからである。わたしにとって神について語ることはすなわち、目の前の人と出遭い、そこで生じた共感や対立、相互理解の深まりや訣別、その喜びや怒り、悲しみなどの、生々しい出来事を語ることだからである。(まえがきより)

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