橋を渡る 渡辺正男 【夕暮れに、なお光あり】

「初秋の橋 新しく渡りけり」―玉木愛子さんの句です。世話になった三宅俊輔医師に関連した句なのですが、玉木さん自身の旅立ちの経験も含まれているように思えます。

玉木さんは、ハンセン病を患い、長年ちっ居生活を続けていましたが、30歳を過ぎ、思い切って「橋を渡る」ようにして、大阪から熊本の回春病院に旅立ちました。

回春病院で、そして後に長島愛生園で、新しい世界が開けます。彼女はキリスト者となり、俳句に親しみ、信仰の句を数多く詠んだのです。

誰にも「人生の橋を渡る」時があるのだと思います。顧みて、私も何度か小さな「橋を渡る」経験をしました。心に残っているのは、60歳の時、青森市の郊外、八甲田山の麓にある新設の伝道所に旅立ったことです。

伝道所での7年は、深い雪との闘いであり、「伝道所」から「教会」になる喜びであり、そして、思いがけずハンセン病療養所松丘保養園の教会(松丘聖生会)の礼拝説教を担当する充実した年月でした。

最近、阿部正子編『訴歌――あなたはきっと橋を渡って来てくれる』(皓星社)を読みました。「あなたはきっと橋を渡って来てくれる」は、ハンセン病療養所長島愛生園に長年入所されている辻村みつ子さんの句です。長島は、岡山の陸地からほんの30メートルほどの距離にあります。1988年に邑久長島大橋が架けられて、「人権回復の橋」と呼ばれてきています。

「あなたはきっと橋を渡って来てくれる」?―これは、「あなたはきっと私たちのことを知り、理解してくれる。待っていますよ」という訴えでもあるのでしょう。

私は、青森でハンセン病元患者の方々と礼拝を共にする幸いを得ました。引退してからは、東村山市にあるハンセン病療養所多磨全生園内の秋津教会を紹介され、礼拝説教の務めを与えられてきています。青森と合わせて約20年、多くの出会いを得ました。主の温かい計らいであったと思っています。

誰の歩みにも、心定めて、あるいは止むを得ず「橋を渡った」経験があるでしょう。そして、苦労もあったでしょう。でも、橋を渡ったがゆえに、新たな世界が開け、多くの人との出会いを与えられてきているのではないでしょうか。

この初秋の日々も、残されている命を大切に用いて歩みたいですね。「人生は橋なり、渡るべし」(玉木愛子)。

「あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように」(詩編121編8節=新共同訳)

 

わたなべ・まさお 1937年甲府市生まれ。国際基督教大学中退。農村伝道神学校、南インド合同神学大学卒業。プリンストン神学校修了。農村伝道神学校教師、日本基督教団玉川教会函館教会、国分寺教会、青森戸山教会、南房教会の牧師を経て、2009年引退。以来、ハンセン病療養所多磨全生園の秋津教会と引退牧師夫妻のホーム「にじのいえ信愛荘」の礼拝説教を定期的に担当している。著書に『新たな旅立ちに向かう』『祈り――こころを高くあげよう』(いずれも日本キリスト教団出版局)、『老いて聖書に聴く』(キリスト新聞社)、『旅装を整える――渡辺正男説教集』(私家版)ほか。

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