死者を葬ることで保たれる人間性 米人類学者が指摘

Patty JansenによるPixabayからの画像

「愛する人を埋葬できないウクライナの家族の苦悩は、人間の深い欲求を強く表している」と、人類学者のディミトリス・キシガラタス氏(コネチカット大学准教授)は指摘する。「レリジョン・ニュース・サービス」への寄稿から。

オレナ・コヴァル氏は、夫が死んだことをテキストメッセージで知った。隣人が「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」に語ったことによると、彼女が近くに避難している間にブチャの自宅でロシア兵に撃たれたという。その後数日間、彼女は厳しい寒さと脊髄に障害があるにもかかわらず、夫の遺体を回収しようと何度も試みたが、兵士の脅しによってそのたびに追い返された。

残虐行為がエスカレートするにつれ、オレナ氏は残された家族を守るためにブチャから逃げ出した。その際、夫の遺体を埋葬してくれる人がいることを願い、隣人に遺体のある場所を示した遺書を残したという。

戦争は死と隣り合わせだが、戦争がもたらす精神的な打撃は、命を失うことだけにとどまらない。大切な人に別れを告げられず、安らかな眠りに埋葬できないことは、それと同じくらい辛いことなのだ。

考古学者たちはホモ・サピエンスが他の種と異なる特徴の一つとして埋葬の儀式を挙げているほど、人類は常に死者を大切にしてきた。言い換えれば、それは人間としての基本的な要素なのだ。

敬意を払う

人類の近縁種も死者への関心を示していた。ネアンデルタール人は埋葬の習慣があり、他の絶滅したヒト科の動物もそうであったと思われる。チンパンジーでさえも、亡くなった親族のことを悲しんでいるように見える。しかし、人類ほど死者を大切にする種は他にはない。

私は人類学者として20年間、儀式、特に「極端」と思われる儀式を研究してきた。一見すると、これらの習慣は不可解に見える。一見すると、何の直接的なメリットもないように見え、まったく意義が感じられない。しかし、よく見てみると、一見無意味に見えるこれらの行為は、人間の深いところにある欲求を表していることが分かる。

葬儀には死体の処理という現実的な必要性はあるが、多くの埋葬の習慣はその必要性をはるかに超えている。例えば、インドネシアのトラジャ族では、亡くなった家族を数カ月から数年間、家に留めておく。その間、親族は生きているのと同じように扱う。親族は食べ物を与え、衣服を着替えさせ、最新の噂話を聞かせる。葬儀の後でも、ミイラ化した遺体は掘り起こされ、着飾られ、儀式の際に町を練り歩く。

埋葬の習慣はトラジャ族だけではない。マダガスカルの、ひんぱんに起こるサイクロンに翻弄され、壊れやすい葦の小屋に住んでいるコミュニティを訪れたことがある。そこでは唯一の頑丈なレンガ造りの建物が墓として使われていた。また、ヨルダンの古代都市ペトラでは、2000年前にナバテア人が岩に刻んだ傑作建築が死者の安息の場とされていた。

これらの習慣は異常なことのように思えるかもしれないが、決してそうではない。どの文化圏でも、人々は死者をきれいにし、保護し、装飾し、慎重に安置する。イスラム教では、埋葬する前に遺体を洗い、覆いをかける。ヒンズー教徒は火葬の前にミルク、蜂蜜、ギーで体を洗い、花やエッセンシャルオイルで体を飾ることがある。ユダヤ教徒は、死後から埋葬まで死者を見守る。また、多くのキリスト教徒とは家族が集まって故人を偲ぶために通夜を行う。

終結をもたらすこと

埋葬儀礼は、表向きは死者のための儀式だ。しかし、その重要性は、生きている人々にとっても役割を果たす。埋葬とは、悲しむこと、慰めを求めること、死の現実を直視すること、そして前に進む力を見いだすことだ。それは人間らしい行為であり、だからこそ、それを奪われることは破壊的であり、人間性をないがしろにされたように感じるのだ。

ウクライナで起きているのは、まさにこのことなのだ。

包囲された都市では、人々は殺されることを恐れて、愛する人の遺体を通りから引き取ることができない。また、ウクライナ当局は、ロシア軍が戦争犯罪を隠すために犠牲者を集団墓地に埋葬していることを非難している。遺体が回収されたとしても、多くの遺体は切断されており、身元を確認する事は困難である。大切な人を失った人々にとって適切な見送りができないことは、2度目の喪失のように感じられるかもしれない。

人類学者や心理学者だけでなく、家族などの近親者、政府、国際機関などにも、区切りをつける必要性は広く認識されている。そのため、軍隊は、たとえ何十年もかかるとしても、戦死した兵士の遺骨を家族のもとに返すために多大な努力を払っている。

埋葬の権利は、敵対する者にも認められている。ジュネーブ条約は、交戦国は敵の遺体を「丁重に埋葬し」、その墓を尊重し、「常に発見できるように適切に管理し表示されなければならない」と定めている。

このような埋葬儀礼の重要性を考えると、ロシア国防省が犠牲者の規模の隠蔽を懸念して、自国の死者を帰還させることに消極的であると伝えられているのも印象的である。ロシア国民の苦しみや終結の必要性に無関心であることも、人間性を奪う行為といえるかもしれない。

(Dimitris Xygalatas、コネチカット大学人類学・心理学准教授。この解説で述べられた見解は、必ずしも「レリジョン・ニュース・サービス」の見解を反映するものではない)

(翻訳協力=中山信之)

 






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