【東アジアのリアル】 中国共産党結党100年と「それでも神はいる」 劉燕子

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コロナ禍で加速した世界のきしみに対して中国共産党は結党100周年を迎える。中国共産党はマルクス主義無神論の立場からキリスト教を根本的に容認せず、しかも元は外来宗教のキリスト教を西洋帝国主義に結びつけて攻撃してきた。

1949年の建国以来、これは国策として強力に押し進められた。特に1966年に文化大革命が勃発すると「四旧打破」「造反有理」「革命無罪」のスローガンの下で教会の破壊、神学院の閉鎖、聖書や関連書籍の焚書が行使され、聖職者のみならず信徒まで迫害された。宗教的活動が全面禁止されると共に官製の中国基督教三自愛国運動委員会さえ解散させられ、その指導者は「牛鬼蛇神」のレッテルを貼られ、「専制対象」として信仰の放棄を強要され、さらには投獄・強制労働に処せられた。1975年の憲法では第28条に無神論の自由が明記され、国務院宗教事務局は解散となった。

しかし、文革の激越な弾圧が最高潮に達した時期でさえ、キリスト者は「それでも神はいる」と信仰を強靱に守り抜き、福音の種を絶やさず、76年の文革終息後のリバイバルをもたらした。だが、それに対して、中国共産党は「宗教の中国化」という名で教会を統制下に取り込もうとしてきている。

天安門事件をきっかけに党の魂の支配と決別した孫医師はミャンマーと国境を接し、キリスト教が静かに根づく雲南の少数民族の山村で診療に従事した(『中国低層訪談録』集広舎)。これを記録した廖亦武は1989年の「六四」天安門事件で4年も投獄された作家である。彼は雲南の辺境で「毛沢東一神教」「偶像崇拝」に反対し、秘密裏に礼拝を守っていたが投獄・処刑されたキリスト者についても書いている(『上帝是紅色的』允晨文化、台北)。

労働改造所での楊曦光

文革期、我が故郷、湖南省長沙の高校生であった楊曦光は先駆的な民主化文書「中国は何処へ行くか?」を書いたが、「反革命罪」で10年間投獄された。彼は獄中でさまざまな人物に出会い、その中に敬虔なキリスト者の李安祥がおり、『囚われた精霊:牛鬼蛇神録』(集広舎より近刊予定)に書き留められた。李は旋盤工であったが、教会が封鎖されても自宅で信仰を守り続けた。信仰により文革を批判したビラを1枚貼っただけで逮捕され、10年の刑を下された。獄中でも彼は信仰を堅持し、その生き方は獄房の空気を清々しくさせるようであった。このような李は、楊にとって初めての「神の使者」であった。

楊は獄中で『資本論』を読破して乗り越え、また高等数学を学修し、出獄後は「楊曦光」の名では就職できないため幼名の「楊小凱」に戻し、さらに中国社会科学院に進み、新古典派の計量経済学を研究し、ノーベル経済学賞候補にもなった。彼はドラスティックで精緻な経済改革「金融ビッグバン」と憲政・法治・人権の政治改革との連動を提起し、中国民主化も積極的に論じた。天安門事件を知った時、彼はテレビを抱きしめて号泣した。

楊小凱の墓

研究生活の中でも信仰への志向性は保たれていた。楊は、プロテスタント的な政治文化は絶えず公正な社会秩序を拡張していると捉えた。そのようなプロテスタント的価値観に基づく英米の文明においては、信仰の自由、生来の平等、契約の遵守などの原則が共通している。これは自由市場の源泉であり、また公平な政治ゲームのルール、分権によるチェック・アンド・バランスの基盤となっている。そこには、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』やフリードリヒ・ハイエクが理性的な社会科学の追究において信仰を論じた『致命的な思いあがり』(特に最終章)などの影響もあった。

肺ガンと診断された2002年、楊は洗礼を受けた。彼は、自由な信仰を起点に自由な個人、自由な秩序、自由な制度というステップを構想していた。それは中国を普遍的価値に立脚した国際社会にふさわしいものにするためであった。

劉燕子
リュウ・イェンズ 作家、翻訳家。中国湖南省出身。神戸大学等で非常勤講師として教鞭を執りつつ日中バイリンガルで著述・翻訳。専門は現代中国文学、特に天安門事件により亡命した知識人(内なる亡命も含む)。日本語編著訳『天安門事件から「〇八憲章」へ』『「私には敵はいない」の思想』『劉暁波伝』ほか多数。

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