【夕暮れに、なお光あり】 私のふるさと 渡辺正男 2020年12月1日

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救い主の誕生を語るルカ福音書2章に「人々は皆……おのおの自分の町へ旅立った」(新共同訳)とあります。この「自分の町」を、以前の文語訳聖書は「故郷」と訳して、「ふるさと」とルビを振っています。

歳を重ねたからでしょう、「ふるさと」を想い、来し方行く末を思い巡らすことが多くなりました。

私の「ふるさと」は山梨県の甲府です。少年時代を甲府で過ごしました。仕事に追われて、長年足が遠のき、身内の者とも縁が薄くなっていましたが、引退してからは、しばしば甲府を訪ねるようになっています。

藤沢周平が、「ふるさとへ廻る六部は気の弱り」という言葉を紹介しています。「六部」は、巡礼といった意味ですね。ふるさとを訪ねる――それは歳を重ねた者の「気の弱り」だと言うのです。

ハンセン病を病み、目が不自由になった方が、「ふるさとに帰りたいね。ふるさとの土や、水や、風に触れて死にたいね」としみじみ語った言葉が忘れられません。

「ふるさと」への想いはいろいろですね。

「生まれ故郷としてのふるさと」に加えて、「心のふるさと」。「魂のふるさと」とも呼べるものもあります。内村鑑三は、「自分の心のふるさとは札幌である」と言いました。内村は札幌農学校に学び、よき師、よき友、そしてキリスト教信仰に出会ったのです。

私の「心のふるさと」は、と思いを巡らします。それは、仕えてきた五つの教会ではないかと思うのです。多くの人に出会い、喜び悲しみをかみしめました。特に年を取ってから仕えた青森と館山の伝道所には、思い入れの強いものがあります。

青森にいる時に、ハンセン病療養所松丘保養園内のキリスト教松丘聖生会の礼拝に出席しました。その聖生会の会堂入口には、「我らの国籍は天に在り」と書かれた看板がかかっています。

「生まれ故郷としてのふるさと」、「心のふるさと」に加えて、「天のふるさと」が与えられているのですね。

ある牧師が「そう、ぼくらは前に帰るのです」と言いました。

来し方だけでなくて、行く末にも、「天のふるさと」にも思いを馳せる――老いた今はそういう時なのでしょう。

 「私たちの国籍は天にあります」(フィリピの信徒への手紙3:20)

わたなべ・まさお 1937年甲府市生まれ。国際基督教大学中退。農村伝道神学校、南インド合同神学大学卒業。プリンストン神学校修了。農村伝道神学校教師、日本基督教団玉川教会函館教会、国分寺教会、青森戸山教会、南房教会の牧師を経て、2009年引退。以来、ハンセン病療養所多磨全生園の秋津教会と引退牧師夫妻のホーム「にじのいえ信愛荘」の礼拝説教を定期的に担当している。著書に『新たな旅立ちに向かう』『祈り――こころを高くあげよう』(いずれも日本キリスト教団出版局)、『老いて聖書に聴く』(キリスト新聞社)、『旅装を整える――渡辺正男説教集』(私家版)ほか。

 






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