12月5日 ヨハネの手紙一4章10節

わたしたちが神を愛したのでなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
ヨハネの手紙一4章10節(参照箇所同書4:7〜12)

 

わたしたちの常識は、信仰とはわたしたちが神を愛することから始まると考えます。しかしながら、聖書は、信仰とは神がわたしたちを愛してくださったことから始まるとするのです。

しかしわたしたちが愛されたとは、わたしたちの罪を贖(あがな)ういけにえとして御子が遣わされたことだとヨハネの手紙は言います。神の愛の後ろには、わたしたちの罪のために死んでくださるお方がおいでになるということは、けっして尋常なことではありません。ここでいわれる罪とは、神への背信を意味するのですから、不信仰なる者のために御子であるお方の命が捧げられたということです。それが神のわたしたちへの愛の形であるとすれば、これをもって尋常な愛の形と言えるのでしょうか。わたしたちはこれをお願いして、そうしてくださいと言ったわけではありません。それどころか、そんなことがわたしたちのためになされたということすら知りません。それがわたしたちへの神の愛し方であると言われているのです。しかしこれが聖書の常識です。この常識を我がものとすることが、信仰です。

 






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