11月6日 フィリピの信徒への手紙2章6〜7節

キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。
フィリピの信徒への手紙2章6〜7節(参照箇所同書2:6〜11)

 

天高くいましたもうキリストを見上げて、自ずと頭下がる思いを抱くのは自然のことと思います。しかしながら、神は天高くいまし、人間をそこへまで引き上げて崇めることを求められません。神は地上にまで降りたもうお方であることをキリストによって証されます。しかもキリストは罪人の姿をとってこの地上で死に、わたしたちの救いを成し遂げられました。キリストが罪人となられたとは、わたしたちのもっとも苦悩とするところまでおいでになったというに他なりません。

その意味では、この地上を神は御自分の働き場とされました。神を見ようとするなら、天を見上げても見ることはできないでしょう。地上で起こっていることに目を凝らし、悩みや苦しみを見つめるなら、「疲れた者、重荷を負う者はだれでもわたしのもとに来なさい」(マタイ福音書11章28節)と言われるお方を見るはずであります。そこは、人の最も低いところです。そこにこそ神は働いてくださいます。またそこ以外では働いてくださいません。神とはそのようなお方です。

 

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