10月30日 エフェソの信徒への手紙4章26節

怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。
エフェソの信徒への手紙4章26節(参照箇所同書4:25〜32)

 

教会は常識を心得た人たちの集まりであって、余程のことでもないかぎり、怒りに駆り立てられることはありません。ところがエフェソの教会には、かなり悪行愚行があったらしく(5章3節以下)、パウロも怒りを抑えることができなかったと思われます。

彼は、「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」と言っていますから、怒ってはいけないとは言っていないのです。キリスト者であっても、怒ることはあるでしょう。

もともと怒りの感情は、本来正不正を判別するために使う感情です。正義を貫き、不正を排するためには怒りがなければならないのです。但し、人間の正不正の判断は、自分の判断を基準にします。絶対的な正不正の判断は、神のものです。ですからパウロは言いました。「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません」と。自分では正しいと思っても、人間の判断は絶対的な正義ではありません。このことに気付いて、罪を犯すなと言うのです。自分では正しいと判断しても、他者の世界では正しくないかもしれないと考えることは、怒りが込み上げてきたときには必要な自戒です。

 

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