10月28日 エフェソの信徒への手紙4章5〜6節

主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
エフェソの信徒への手紙4章5〜6節(参照箇所同書4:1〜6)

 

キリスト教はどうして沢山の教派に分かれているのですかと聞かれることがあります。すべてが同じだと全体主義のようになって、個人の自由がない、もともと信仰の世界は個人の自由を認めるのが宗教というものだからと言う人もいます。教派がちがうということは互いに自分だけが正しいと主張しているようなものだ、それこそ罪だと言う人もいます。

教派の問題に限りません。たとえ同じ教派に属する教会であっても内側を見れば、分かれていることがあります。中には対立した関係だってあるでしょう。ありのままに教会を見れば、異なる人たちの集団です。それぞれに分かれていることを率直に認めざるを得ません。それが現実だからです。

けれども分かれていることは、感謝すべきことでもあります。分かれているので、「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって」ということの意味がよく分かるからです。分かれていることによって生じる、さまざまな弊害もありましょう。けれどもキリストにある一致を知っているなら、分れていることに責任を持ち、信仰による一致に基づく判断をすることができるのも確かなことです。

 

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