7月30日 イザヤ書40章8節

 草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
イザヤ書40章8節(参考箇所同書40章1〜11節)

バビロン捕囚の時代が終わり、解放の時がやってくるとの主の約束が告げられます。もはやこのまま異国の地で果てる他なしと一切の希望を捨てていたであろう、イスラエルの民にとって、この朗報は歓喜の声をもって迎えられたにちがいありません。

しかしイザヤは「肉なる者は皆、草に等しい」(6節)と言います。肉なる者とは侵略者バビロニアを指すと同時に全イスラエルをも視野において、被造物としてのはかなさを言っているのです。イスラエルが苦難の時から解放されたからといって、それで特別な存在ではないことを厳粛に受け止めた言葉です。人はすべてだれであれ、肉なる者であることに変わりはないのです。永遠に変わらないものは、ただ神の言葉のみです。

このイザヤの言葉は、信仰によって救われた者もこの世にある限り、肉なる存在に過ぎないという意味を含んでいます。肉なる者として「草は枯れ、花はしぼむ」にもかかわらず、その肉の現実に神の言葉が語られ、救いが成し遂げられていく、この神の現実をイザヤは見て「わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」と言うのです。

 






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