7月12日 詩編137編1〜2節

バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた。竪琴はほとりの柳の木々に掛けた。
詩編137編1〜2節(参考箇所詩編137編1〜9節)

バビロンに捕囚の身となったイスラエルは、何時の日かエルサレムに帰ることを待ち望んでいました。しかしながらバビロニア人たちは嘲(あざけ)りをもって遇するばかりです。彼らは「歌って聞かせよ。シオンの歌を」(3節)とからかいます。いわばそれは信仰を告白する場をこの異教の地に変えよと言わんばかりの責め苦でありました。主のための歌は、主の前で歌われねばなりません(4節)。彼らはその日のために竪琴を流れのほとりの柳の木にかけたのです。今は信仰を告白する時が与えられていなかもしれない、この場所は信仰を表明するにふさわしくない場であるかもしれない、でもやがてそれができる日がやって来る、その希望を竪琴に託したのです。

竪琴は信仰を告白するための目に見える象徴でありました。やがてやってくる、その日を頭の中で考えて待っているのでなく、象徴としての竪琴を見ることで、その日が来ることをより確かにすることができるのです。

バッハのオルガン・コラール曲「バビロンの流れのほとりにて」を聞くたび、今はその時でなくとも、やがてその日がやって来ることを確かさの中で待ち望んでいる人たちがどれほど多いかを祈りのうちに思い起します。

 






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