7月9日 詩編121編1節

目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。
詩編121編1節(参考箇所詩編121編1〜8節)

この詩編作者にとって「山々」は、創造のしるしでありつつ、また神の助けを知る象徴でありました。聖書の中では、「山々」は神がご自身を明らかにされるところとして描かれます。ホレブ、ピスガ、モリヤ、シオン、それぞれの山で神は人々にご自身を現わし、語りかけ、働きかけてくださいました。作者は「山々」を見るたびに神がかつて先祖たちにご自分を現わし、助けの手を差し伸べてくださったことを思い出したことでしょう。

人には、神を体験的に知る象徴が必要なのだということをこの作者は教えています。神は考えて分かるお方ではありません。もし考えて分かるような神なら、もはや神とは言えず人間の知的産物に過ぎません。

この詩編作者は、神が彼の助けのために生きて働いておいでになることを、「山々」を見るという体験の世界で受け止めているのです。そのためには、彼にとって「山々」は意味のある象徴でありました。しかもその神は、天地の創造主である壮大なスケールをもつ神が彼の助け手であることに思い至っているのです。

人には、そのような神の働きを体で知るような象徴が必要です。神はそのためにわたしたちに知性と共に感性も与えてくださったのです。

 






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