7月3日 詩編84編5節

いかに幸いなことでしょう。あなたの家に住むことができるなら、まして、あなたを賛美することができるなら。
詩編84編5節(参考箇所詩編84編1〜13節)

召天者記念の礼拝などでよく用いられる詩編の一つです。ルターは、キリスト者は死を自然の死を待つように待ってはならないと言います。キリスト者にとって死は探し求めてでも死と出会わなければならない、死によって洗礼が完成する、なぜなら死によって完全に罪に死ぬからであり、その死はすでにキリストが死んでくださった死にほかならない、だから死の向こうに復活の命がある、それが彼の死に対する姿勢でありました。

生きている内は、人は肉なるものに支配されます。肉には、不確実なことや、未完成なること、あいまいさが付きまといます。肉にあるかぎり信仰の世界においても、肉に付随したものの影が差し込みます。信仰の裏に不信があり、信仰のわざから、一切罪のわざを払拭することはできません。死によって肉なるものから解き放たれ、信仰によって罪の報酬としての死をキリストが死んでくださった死として受け取るのであります。死は、その意味では罪の徹底であると共に、その罪がキリストによって赦(ゆる)され、キリストにある命へと復活し、信仰を完成するものであります。ですから、死を迎えることは幸いなことです。信仰の完成者として天の家にいることができるからです。

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