6月15日 詩編1編1〜3節

いかに幸いなことか。・・・主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉も枯れることがない。
詩編1編1〜3節(参考箇所詩編1編1〜6節)

「いかに幸いなことか」という冒頭の言葉は、主イエスの山上の説教にある九福の教え(マタイ福音書5章)にある祝福に通じるものがあります。信仰者が生きる上で神からいただくものは、単なるこの世の幸運といったものではなく、祝福であることを教えているのです。

祝福をいただくためには、主なるお方の御心に従って生きる者でなくてはなりません。言い換えれば、神の御心とは何であるかを絶えず求めることが究極的な生き方となっていることを、この詩編作者は「その教えを昼も夜も口ずさむ」と表現しているのです。それこそ信仰にある者の生き方であって、道徳を基準とした生き方とは一味ちがうことを知る必要があります。

しかもその生き方は、人間の生活の只中で行われるのです。「その人は流れのほとりに植えられた木」とありますが、この流れとは人工的に掘られた運河のことで、木もまた植樹された木を意味しています。人間が構築し、人間の匂いがむんむんする所、それこそこの現実世界で、神の御心が何であるかを求めるということです。フォーラーというキリスト教教育の学者はそのような生き方をした人に、マザーテレサやルーサー・キングがいると言います。

 






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