5月19日 申命記26章5節

 あなたはあなたの神、主の前で次のように告白しなさい。「わたしの先祖は、滅び行く一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかしそこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。・・・」
申命記26章5節(参考箇所同書26章1〜15節)

民族や国家の歴史をふりかえり、輝かしい業績を発見して誇りに思うことは、愛国心を養うに最も適していると思うかもしれません。

しかしながら、旧約におけるイスラエルの国家意識は、意外ともいえるところに歴史認識の出発点を置いています。「わたしの先祖は、滅び行く一(いち)アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り・・・」というところから民族意識を初めているのです。アラムとはヨルダン川東部からチグリス、ユーフラテス流域に広い範囲を指し、彼らの先祖の出自を明らかにしたものです。自虐的ともいえるこの民族意識は、彼らが徹底して神の恵みの中に置かれなければ何事も成し得なかった、信仰の告白というべきものです。

自らの過去の歴史がどのような痛みをもっていようとも、その歴史を自分の責任として受け入れることができる宗教は成熟した宗教であるといわれます。未成熟の宗教は過去の歴史を否定したり、故意に飾り立てたりして、成立することが多いものです。新宗教やカルト宗教といわれるものにはその傾向が顕著に伺えます。いかなる過去の歴史もわたしの責任として引受ける、その姿勢をまた個人の信仰の中にも成熟性の表れとして見たいものです。

 






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