3月11日 山上の説教 マタイ7章3節

あなたは兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。
マタイ7章3節(参照箇所同書7章1〜6節)

傍目八目(おかめはちもく)ということわざがあります。他人の打っている囲碁は八目先までよく分かるという意味です。「他人を批判するのは、よくないことだ。君は他人の悪口ばかり言っているが、それでは駄目じゃないか」という人が、実は他人を批判しているのに気付くには難しいことです。

カウンセリングの世界で、メタ・ビューを大切にといわれます。メタ・ビューとは上から見るということで、ちょうど鳥瞰図(ちょうかんず)のように自分の世界を見ることをいいます。自分を上から見れば、自分が今なにをしているのか、だれとどのような関係を持っているのか、どのような気持ちでいるのか、よく分かるものです。自分を中心にして世界を見ないで自分を相対化した世界を見ていることになります。

信仰の世界は、自分を自分の物差しで見ないで、神から見ていただくことですから、それこそ自分の相対化であるということができます。自分の相対化が起ると、自分がなにをしているか、今は悲しんでいる自分がいる、喜んでいるなど自分の気持ちを外から見るゆとりができたり、生きている世界の全体像も分かるでしょう。これこそ信仰による気付きです。

 






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