2月25日 ルカ24章1−3節

そして週の始めの日の明け方早く、準備しておいた香料をもって墓に行った。見ると石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。
ルカ24章1-3節(参考聖書箇所同書24章1-3節)

主の十字架の出来事があって三日目の朝、婦人たちは墓へと急ぎます。イエスの亡きがらに香料を塗るためでありました。葬りのときには、墓ヘ行く、だれでもがすることであります。
聖書は、その墓に必ずあるはずのイエスの亡きがらが見当たらなかったと記します。その理由を説明しようとして、あれこれと証拠を並べ立てることはありません。ただ「イエスの亡きがらが見当たらない」と記し、そのことで驚いたり、恐れたりする様子を素朴に伝えるのみであります。一切の論議を避けて、素朴な人々の反応を記していることで、主の復活を告げているのです。しかし、そのことがかえって主の復活を直裁的に伝えています。あれこれと証拠立てたり、理由付けに走ったりすれば、かえって事の真実が薄らぐでしょう。「主イエスの遺体が見当たらなかった」と墓の中の出来事を伝えること以外に、この地上での証拠はないのです。
ある宣教師はイースターの朝、教会へ来るや否や、出会った人毎に「彼はよみがられました」と挨拶をするのが慣例としていました。人々は、そのなんの飾りもない挨拶を聞くと主はまことに復活をされたのだという気持ちになったものです。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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