1月29日 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。 ヨハネ3章16節

神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
ヨハネ3章16節(参考聖書箇所同書3章16〜21節)

教会学校ではよく暗誦聖句として取り上げられる箇所ですから、大抵の人は、すっかり覚え込んでいて、すらすら口から出てくるほどよく知られた言葉です。 かつて石島三郎(故人)という牧師がおいででしたが、この方の著作「キリスト教入門」に「わたしはキリスト教を信じない、しかしキリストの福音を信じる」とありました。その意味は宗教としてのキリスト教であれば、文化としての精神現象にすぎない。もしそうであるなら理解すればよいのであって、要は人間の知識の世界に落ち着く、それに対し聖書は神がこの世界に起こされた救いの出来事を記している、いわば神からの新聞とでもいうべきものであって、神の出来事を福音(グッド・ニュース)として伝えているのである、その福音を信じるのが信仰だという意味なのです。  この福音、つまりグッド・ニュースの内容が「独り子を信じる者が、一人も滅びないで、永遠の命を得るため」と書かれていることに気付くなら、その一人である、この<わたし>に宛てて福音は告げられていることを知らねばなりません。言い換えれば、神は、<わたし>のために独り子をお与えになったということなのです。

 






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