1月24日 人の子は仕えられるためではなく、仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。 マルコ10章45節

人の子は仕えられるためではなく、仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。 マルコ10章45節(参考聖書箇所同書10章35〜45節)

キリストはわたしたちのために死んでくださったという信仰は福音の真理であって、この真理の伝達のために弟子は召されたのでした。弟子たちは、この真理に思い至ることなく、イエスを指導者として見上げるのみでした。その結果はだれがイエスの右と左に座るかという論に終始したのです(三十七節)。イエスをトップに、その次はだれか、この論議は世俗の世界においては、重要な意味を持つでしょう。しかし信仰の世界には無縁のものです。 信仰の世界においては、わたしよりも低いところにいてくださって、わたしのために死んでくださったお方を信じるのみです。キリストがわたしのために死んでくださったとは、罪に死ぬべきわたしの死をキリストが代わって死んでくださったことに他なりません。 それはパウロが言うように、洗礼においてキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなり、キリストが父の栄光によって復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためであります(ロマ六章四節)。 わたしが生きているとは、キリストが死の死となってくださったことで得た、身代わりの命を生きていることに他なりません。

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