1月12日 わたしにつまずかない人は幸いである マタイ11章6節

わたしにつまずかない人は幸いである。 

                マタイ11章6節(参考聖書箇所同書11章2〜6節)

 洗礼者ヨハネはイエスがメシアであるかどうか、信じ切れずにいました。「きたるべき方は、あなたでしょうか。それとも・・・・」(三節)と弟子に尋ねさせたのでした。それもなんと、当のメシアであるイエス御自身に向かって問い掛けているのです。何と不思議なことではありませんか。イエスは、その問い掛けに対しメシア到来のしるしはすでにこの地上に起っている、それをあなたたちは見聞きしているとご自身の口で言われるのです(四〜五節)。

 この時代、メシア到来のしるしは、この地上のどこで、と探すなら、教会の中に起っていることに耳を傾け、目を凝らすべきです。教会こそメシアの到来によって始まった天(神)の国の地上のかたちに他ならならないからです。

 教会のあちらこちらで、あのAさんが不治の病いと闘うさまを、Bさんが絶望の最中にありながら、なお希望を失わないことを、Cさんが心身に不自由をもちながら、なお前に向かって生きる勇気をもつ姿を見聞きするのではありませんか。それを知りつつ「来るべき方は、あなたでしょうか」と問いは無用です。教会の中でこそ「あなたはすでにおいでになります」と告白する幸せを発見したいものです。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

この記事もおすすめ