1月6日 わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。マタイ5章17節

イエスとはだれか

1月6日 わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。 マタイ5章17節(参考聖書箇所同書11章7〜19節)  

イエスがこの世界においでになったのは、旧約に示されてきたような、神の意志を完成する使命を目的とされたのです。これまでとちがったことを起こそうとしてこの世においでになったのはありません。旧約に示された神の意志を引き継いで、完成させようとされたのです。そのことを実現するため、人間が自ら努力して完成させるという方法を取られませんでした。  その完成のためには救い主イエスの十字架の死がなければなりませんでした。人間は神の意志に反して、自らを正しいとする罪を犯したからであります。言い換えれば律法と予言者に現された神の意志を忠実に守る責任を放棄して、人は自分の意志をあたかも神の意志であるかのように振る舞うに至ったのです。しかし神はそのような人間を断罪せず、救うために、救い主であるイエスを地上に送り、その死をもって神の意志を完成するという逆転劇をこの地上に起こされたのです。この逆転劇を起こしたのは神の愛の意志でありました。それこそ福音といわれるものです。人には、その逆転劇に込められた福音を信じる信仰が求められているのです。

賀来 周一

賀来 周一

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

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