主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、列王記第二の16章です。よろしくどうぞ。
列王記第二 16章3節
主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の、忌み嫌うべき慣わしをまねて、自分の子どもに火の中を通らせることまでした。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
ここではアハズという王様の話がされています。アハズはイスラエルの王であるのに、イスラエルの文化を軽視して、他国の文化をたくさん取り入れて独自の政策を行いました。それについて神様は「けしからん!」と怒っています。当時のイスラエル王国というのは建国コンセプトが「神様に愛された民による、神様を愛する国」のようなものですから、他の神々を拝む政策をするということは、現代の日本国に喩えるなら基本的人権の尊重や平和主義といった憲法のコンセプトを破る政策を行うようなものです。
・・・とまぁ、難しい話は今回は置いておきまして。自分の子に火の中を通らせるって、ずいぶん過激なお父さんですよね。スパルタ教育にもほどがある。しかし、現代の僕たちの社会でも、似たようなことは多々起こっているかもしれません。
それは「偏った教育方針」です。一部の研究者やインフルエンサーの説を盲信し、それだけで勝手に教育方針を立て上げ、それを子どもに押し付けてしまうようなことです。そんな教育やしつけを親御さんから受けてしまったという方も、少なくないのではないでしょうか。さすがに火の中を通すようなことはないでしょうが、極端な「健康法」を盲信して子どもに偏った食事をさせてしまったり、極端な「教育論」を盲信して学校に通わせなかったり、「ほめて伸ばす」を盲信して何をしても叱らなかったり。僕たちの世代だと「ファミコンと漫画は一切禁止」だとか「テレビも禁止」だとか「放課後に友達と遊ぶの禁止」だとか、何かとやたらと禁止されて育ったという方も少なくないかと思います。
アハズの子は火の中を通らされてどんな気持ちだったでしょう。もしかしたらそれで勇ましい気持ちになったかもしれませんが、心から怖くて辛かったかもしれません。それを親の暴力と感じたかもしれません。アハズはきっと「勇ましい子になるために」とそれをやったのでしょうが、受け取る子がどんな気持ちでそれを受け取るかはわかりません。現代の「教育方針」だって、親御さんの「こうなってほしい」という気持ちによってなされるものでしょうが、受け取る子がその気持ち通りに受け取ってくれるかどうかはわかりません。親の「こうなってほしい、こうあってほしい」という気持ちだけでなく、子の方がそれでどんな気持ちになるのか、どんな状況になるのか、それをしっかりと考えなければいけないのかと思います。親から子だけに限らず、学校でも社内研修でも、育てる側の「こうなってほしい、こうあってほしい」は一方通行になってしまうと非常に危険なものです。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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