大切な場所で靴を脱ぐ習慣【聖書からよもやま話545】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。

本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は  旧約聖書、ヨシュア記の5章です。よろしくどうぞ。

ヨシュア記 5章15節

主の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足の履き物を脱げ。あなたの立っている所は聖なる場所である。」そこで、ヨシュアはそのようにした。

(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

室内にあがるときには靴を脱ぐ。これは日本ではあたりまえの習慣ですが、皆さんご存知の通り、海外では、特に欧米文化圏では必ずしも一般的ではありません。悪気なしに人の家にズカズカと靴のまま入ってくる人もたくさんいます。とはいえ、聖書にはこのように「聖なる場所では靴を脱げ」ということが書いてあります。しかしとはいえ、やっぱり彼らは(少なくとも僕が生活したことのあるアメリカでは)教会でも多くの場合は靴を脱ぎません。

アメリカ人って「君たちどんだけ靴が好きなんだよ!?」とツッコミたくなるほど靴を脱ぎません。家に入る時も脱がないですし、ソファでくつろいでいる時も脱ぎません。なんならちょっとベッドにゴロンとするときにも脱ぎません。脱ぐのはお風呂と、夜しっかり眠るときくらいのものです。もっとも、近頃ではくつろぐときには脱ぐ人も増えているようですけれど。

・・・ということは、彼らにとっては教会よりもお風呂やベッドの方が聖なる場所なのか。確かにどちらも人に安らぎと癒しを提供してくれる場所。これは聖なる場所と言えるかもしれない・・・

なんて馬鹿なことは傍に置くとして、日本人の靴を脱ぐという習慣はとても良いものだと思います。神様だって「聖なる場所=大切な場所では靴を脱ぎなさいよ」と言っているわけです。そして、日常の中で靴を脱ぐ時、「これから大切な場所に入るんだぞ」という気持ちになることも良いことだと思います。そうすればたとえば誰かの家にお邪魔するときでも、居酒屋の座敷に上がるときでも、その場やそこで行われることをより大切に思えるのではないかと思います。

それではまた。

主にありて。

MAROでした。

【メールマガジン始めました】

クリプレのメールマガジンが始まりました。日々、クリプレの最新記事を皆様にお届けいたします。無料でご利用いただけますのでよろしければこちらのリンクからご登録くださいませ。

【おねがい】

クリプレは皆様の献金により支えられています。皆様から月に300円の献金をいただければ、私たちはこの活動を守り、さらに大きく発展させてゆくことができます。日本の福音宣教のさらなる拡大のため、こちらのリンクからどうか皆様のご協力をお願いいたします。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

この記事もおすすめ