主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
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聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、歴代誌第二の32章です。よろしくどうぞ。
歴代誌第二 32章19節
彼らは、人の手のわざである地上の民の神々について語るのと同じように、エルサレムの神について語ったのである。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
アッシリアの将軍が、ユダ王国を攻めようとして言いました。「君たちの神に何ができる。神なんかが助けてくれるわけがないだろう。他の国の神は我々が攻め滅ぼした国々を守らなかったぞ。そんなものを信じるのはやめて降伏したまえ」ユダの王ヒゼキヤは答えました。「他の神々なんかと私たちの神を一緒にするな。私たちの神は本物だ。だから必ず助けてくださる。君たちは兵を引いた方がいい」
僕たちはつい、人間の常識で物事を判断してしまいます。人間に無理なことは神様にも無理だろうと、いくら神様を信じていても心のどこかで思ってしまったりします。場合によっては、自分たちの信仰を占いや、いわゆる「スピリチュアル」な迷信と同列に並べてしまったりします。占いは「あたるも八卦あたらぬも八卦」、神様もまた「助けてくれることもあれば、くれないこともある」なんて、どこか不確定要素のように思ってしまうことがあります。しかし、信仰と迷信とは決して同列に語るべきものではないんです。迷信は人がつくりだしたものであり、人の知恵でしかありません。しかし信仰は神様から与えられるものであり、神様の知恵であり力であります。
アッシリアの兵は、このあとで神様によって討ち滅ぼされ、ヒゼキヤは勝利し、ユダ王国は守られました。アッシリアが滅した国々の、彼らが祭り上げた神々ができなかったことを、主なる神はちゃんと成し遂げたんです。他のどんな「神」もできないことを、本当の神様はできるんです。占いやスピリチュアルで及ばなかったことも、本当の神様にならできるんです。
聖書の神様を、他の神仏と同列に並べて「自分たちを助けてくれる力の一つ」のように扱う、「スピリチュアル」な方は世にたくさんいます。「私はイエス・キリストの力『も』信じています」なんて言う人もいます。しかし、そうではないんです。僕たちを本当に助けてくれる力を持っているのは、ただ一人主なる神、イエス・キリストだけです。少なくともそれがクリスチャンの持つ信仰です。主なる神を他の神仏と同列に並べるのなら、それはクリスチャンの信仰とは言えません。「私はさまざまな宗教のいいところをとって生きようと思います」と、「いいとこどり」をしようとする方もいますが、それではきっとどの宗教の「いいところ」も得ることはできないでしょう。その場合、なにが「いいところ」なのかを判断するのは自分自身の知恵であり、それは人の知恵にすぎないからです。そこから得られる「いいところ」は人の力の範囲でしかあり得なくなってしまうんです。
神様の力は他の何かと「組み合わせる」必要なんてないんです。ただそれ一つだけで十分ですし、ただそれ一つだけにより頼む時にこそ、最大の力を授けてくれるものだからです。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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