「お前も俺と同じ苦労をすべきだ!」という気持ち【聖書からよもやま話50】

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、使徒の働きの15章です。それではよろしくどうぞ。


◆使徒の働き 15章10節

なぜ今あなたがたは、私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか。

イエス様の弟子たちはたくさんの異邦人(イスラエル民族ではない人たち)にも信仰をもたらしました。しかし、イスラエル民族としてキリスト教の信仰を持った人たちの中にはこれを面白く思わない人もいました。異邦人の信徒たちはそれまでイスラエル民族が守ってきたモーセの律法に従っていなかったからです。彼らは言いました。「異邦人たちも我々と同じ信仰を持つなら、我々と同じように律法を守るべきだから、割礼もうけなくてはいけない!」

これは教会の中で大きな議論になりましたが、最終的に使徒たちのリーダー格であったペテロが「どうしてあなたがたは、自分たちが守れなかったルールを、新しく信仰に至った人にまで押し付けようとするのか!」と、述べ、この発言によってこの議論は終息しました。

イスラエル民族の歴史は主に旧約聖書に記されていますが、それはモーセの律法が与えられて以来、「彼らがいかにその律法を守ってきたのかの歴史」というよりもむしろ、「彼らがいかにその律法を守れなかったかの歴史」だと言えるものです。旧約聖書に与えられている神様からの律法は人間は自らの力で守りきることは不可能なんです。だからこそイエス様がその律法の代わりに「新しい律法」を与えてくれました。それが新約聖書です。

これって、聖書の世界に限らず、僕たちの現代社会でも似たようなことがありますよね。たとえば高齢世代が若い世代に自分たちの苦労を押し付けるような場合です。「俺たちは苦労したんだから、お前たちも同じように苦労しろ!」というような奴です。これは世間でも話題になっている典型的な例ですが、そうじゃなくても、僕たちの中には同じような理不尽な気持ちがどこかにあるのではないでしょうか。自分が苦労して得た何かを他の人が苦労なく手に入れるのは許せない、とかそんな感情です。

自分たちは必死に厳しい律法を守って救いを得ようと頑張ってきたのに、あいつらは何の苦労もなしに救いを得やがって!と。

でも、何かが新しくなる時って、救いに限らずそんなものです。それまで多大な苦労を伴っていたことが、労せずしてできるようになる。これがいわゆる「革新」ということですから。世代を超えて同じ苦労をしなくてはいけないなら、僕たちは今もパソコンやスマホなんて使わずに、墨とそろばんで資料を作ったりしないといけないわけです。そして、パソコン・スマホ世代の我々には、墨とそろばんの頃にはなかった苦労があったりもするわけです。

それではまた。
主にありて。MAROでした。


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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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