元日本基督教団総会議長の後宮俊夫(うしろく・としお)さん(日本基督教団隠退牧師)が12月23日、老衰のため召天した。96歳。葬儀は12月26日、セレマ草津シティホール(滋賀県草津市)で執り行われた。喪主は、長男で日本基督教団・霊南坂教会主任牧師の後宮敬爾(よしや)さん。
1922年、陸軍中佐だった後宮太朗の長男として、和歌山市に生まれる。母親は広島女学院在学中、宣教師から洗礼を受けており、後宮さんも幼い頃、日曜学校に通った。
41年、海軍兵学校を卒業後、連合艦隊の戦艦「霧島」や「山城」などに乗り込み、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦、ソロモン海戦を戦ったが、結核療養中に終戦を迎える。最終階級は海軍大尉。
1950年頃から、「ちいろば牧師」として知られる榎本保郎の牧会する京都の日本基督教団・世光教会に母の付き添いで集うようになる。榎本の、人々に仕える姿に感動し、洗礼を受けるとともに、榎本の妹の松代さんと結婚。60年、日本基督教団補教師試験に合格し、日本基督教団の牧師として大住世光教会、榎本の後任として世光教会で働く。
78~88年、日本基督教団総会議長を務めた。在任中の84年、戦時中のホーリネス弾圧事件について、当時の日本基督教団の対応の誤りを認め、関係者と家族を教団総会に招いて謝罪した。
その後、重度の障がい者のための作業所「ベテスダの家」や高齢者福祉施設「ピスガ甲西」を設立し、社会福祉法人近江ちいろば会理事や学校法人敬和学園理事長などを歴任。最晩年には甲西伝道所(滋賀県湖南市)牧師を務めた。
著書に自伝『み手のうちに──激動の時代を生き抜いた八十年』(日本キリスト教団出版局)などがある。