「崎津(さきつ)資料館みなと屋」(熊本県天草市河浦町)で7月22日から、潜伏キリシタンが信仰を守るために作ったと思われる石像「ウマンテラさま」の展示が始まった。羽の生えたお地蔵さんにしか見えないが、マリア観音ではなく、日本ではあまり例を見ない大天使ミカエルを思わせる石像なのだ。
みなと屋の公式フェイスブックには次のように投稿されている。
「今富(いまとみ)地区の潜伏キリシタンが信仰を捧げていた『ウマンテラサマ』をようやく皆様にご覧頂けるようになりました。『ウマンテラサマ』は今富の小高い山の雑木林に囲まれてひっそりと祀られていました。遠い昔、ウマンテラサマを前に今富の潜伏キリシタンの人達はどんな風に祈りを捧げていたのでしょう」
こうあるように、ウマンテラさまはもともと、1983年、文部省派遣調査団により、隣接する今富集落を取り巻く後背山にあるのが確認され、「翼を持った観音を発見 日本では初めて」と熊本日日新聞に大きく報じられた。今富には、水方(みずかた)屋敷(洗礼を授けるところ)やお水取り場(洗礼の水を汲み取るところ)、天草崩れで取り壊されたとある「弓取りの墓」、聖遺物として鏡や木彫仏、土人形、石仏を再加工したキリシタン遺物などが残っている。
その後、天草のキリシタン遺物や郷土資料を展示する民間のキリシタン資料館「サンタマリア館」(天草市有明町)に展示されるようになったが、そこが2017年に閉館したため、天草市に寄贈された。市は、元の場所にほこらを作って展示することを検討していたが、山中のために管理が難しいとして、最終的にみなと屋で展示することになったのだ。
石像は高さ45・5センチ、幅28・8センチ、奥行き21センチ。背中には翼があり、長い杖か剣のようなものを持ち、足元には顔のある何かを踏みつけている。実はこれは「大天使ミカエル」を描いた西洋の絵画や彫刻とそっくりなのだ。ミカエルは、背に翼が広がり、燃える剣を手にして悪魔(サタン)を打ち倒す姿で描かれているものがルネサンス期以降、多数見られる。
「見よ、偉大な天使長の一人ミカエルが私を助けるために来た」(ダニエル10:13)
このように旧約聖書には、ミカエルはイスラエルの守護天使として登場し、新約聖書では、神の軍勢の指揮官としてサタンと戦う姿が描かれる。
「天で戦いが起こった。ミカエルとその天使たちが竜(サタン)に戦いを挑んだのである」(黙示録12:7)
ちなみに、日本に最初にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、日本の守護聖人をミカエルとしていたが、のちにザビエル自身が日本の守護聖人とされている。
この石像が山頂にある旧墓地で見つかったことから、山岳信仰とキリシタン信仰が融合したもの、あるいは天狗(てんぐ)像という説もあった。しかし、ミカエルは守護者というイメージから、西欧ではしばしば山頂や建物の頂上にその像が置かれていたので、おそらくそれに倣(なら)ったのではないだろうか。
みなと屋は、世界文化遺産に登録された「天草の崎津集落」にある。﨑津は1569年、南蛮貿易のために招かれたイエズス会のポルトガル人修道士ルイス・アルメイダ(商人、医師でもあった)によって布教が開始され、ほとんどの村人がキリシタンとなったところ。教会堂や宣教師のレジデンシア(住居)が造られ、教会を支援する信仰組織として3つの小組からなる「コンフラリア」(信仰組織)が形成されたという。
その後、豊臣秀吉による九州攻め(86~87年)のあと、功績のあったキリシタン大名・小西行長が肥後国の南側を統治することになった。このころ天草は、人口3万の3分の2にあたる2万3000人がキリシタンで、60人あまりの神父や30の教会が存在したという。崎津の隣村である有馬にも91~97年、宣教師を養成するコレジヨが設置され、ここで天正遣欧少年使節の4人も学んだ。
ルイス・フロイスの『日本史』には、﨑津集落は「Saxinoccu(サキノツ)」と記され、信仰拠点として重要視されていたことがうかがえる。そして今も、江戸時代の禁教下にあった潜伏キリシタンの信仰形態を伝える文書やメダイなどの信心具が数多く残る集落として、世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つと認められたのだ。
開館は午前9時~午後5時で入館無料。問い合わせはみなと屋(0969・75・9911)へ。