【連載小説】月の都(33)下田ひとみ

 

それまではどこか気兼ねをしながら教会へ通っていたのが、そのことがあってからは遠慮がなくなった。洗礼を受けた後の紘子は、自他ともに認める熱心なクリスチャンとなった。教会の奉仕に身を入れ、他教会との集会にも積極的に参加するようになった。

そして、あのことが起こった。ある修養会にスタッフとして参加した紘子は、そこで田宮と再会したのである。

田宮はその風貌にいまだ昔の面影を残していた。独身で、昔と変わらず優しい。紘子の心は弾んだ。

まるで学生時代に戻ったかのようだった。1度が2度となり、やがて3度、4度……逢瀬を重ねていくうちに、ついに一線を越えてしまった。紘子は非常な罪意識に苦しみ、田宮と別れた。その後になって妊娠に気づいたのである。

紘子の思いは複雑だった。

もう子供はできないものとあきらめていた。それなのに、40を前にして初めて授かった命である。相手が夫でないことが、何とも皮肉な気がした。

もしかしたらもう妊娠のチャンスはないかもしれない。

苦悩の日々を送りながら、紘子は考え続けた。

この命を生かすにはどうすればいいだろう。

夫にすべてを明かして離婚し、田宮と結婚する。

それが一番正しい道だと、紘子には思われた。

しかし、ことはそう簡単ではなかった。

田宮は妊娠を喜ばないかもしれないし、紘子との結婚を望まないかもしれない。優柔不断な田宮の性格では、そういうおそれは十分にあった。

その点、数蒔ならば、子供が授かったと知れば、喜ぶに違いないことがわかっている。

幸か不幸か、田宮と数蒔は同じ血液型であった。

紘子は長い時間をかけて考えを巡らした。

そして、子供は数蒔の子として産み、育てる、と覚悟を決めた。

このことは誰にも言わず、墓まで持っていく。

そう固く自分に誓ったのである。

数蒔は、産まれてきた一人息子の勲を愛した。それは傍目(はため)にも息苦しいほどの愛情の注ぎ方であった。勲も何の疑いもなく数蒔の愛情を受け入れ、成長していった。

これで良かったのだ。

紘子は自分自身に何度も言い聞かせた。

私は大きな罪を犯した。そのことは幾重にも神様にお詫びする。夫にも心の中で手を合わせない日はない。けれど、ほかにどんな手立てがあっただろう。その結果、与えられた命に罪はないのだから。

しかし、その代償として、秘密を抱えて生き続ける苦悩を紘子は日々味わわねばならなかった。夫を裏切り、子供をも騙(だま)し続けているという罪責感と、来る日も来る日も闘わねばならなかった。紘子のそれからの人生は、嘘(うそ)で成り立っていたからである。

暑い日盛りのその日の午後、紘子は悶々(もんもん)と過去を反芻(はんすう)しながら時を過ごしていた。(つづく)

月の都(34)

下田 ひとみ

下田 ひとみ

1955年、鳥取県生まれ。75年、京都池ノ坊短期大学国文科卒。単立・逗子キリスト教会会員。著書に『うりずんの風』(第4回小島信夫文学賞候補)『翼を持つ者』『トロアスの港』(作品社)、『落葉シティ』『キャロリングの夜のことなど』(由木菖名義、文芸社)など。

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