38年ぶりの教皇来日は、一般メディアでも大きく取り上げられる一大イベントとなった。テレビのワイドショーなどでは、一般信徒へのインタビューがリアルタイムに放送されるなど、話題をさらったことは言うまでもない。
中でも広島と長崎でのスピーチはさまざまな角度から報道され、全文を掲載した新聞まであった。「すべてのいのちを守るため」という来日テーマとメッセージを携えて、教皇が世界に向けてどのような発言をするかに大きな注目が集まったかたちだ。また、講話やスピーチ、説教など、話した内容もさることながら、「誰と会うか」ということ自体がメッセージなってしまうような存在でもあるので、今回、被爆者や東日本大震災犠牲者の遺族と面会したことの意義はきわめて大きいと言えるだろう。
実際、羽田空港を飛び立った機内での記者会見においても、記者からの質問に答えるかたちで、長崎と広島を訪れた感想と意義、核兵器廃絶への思いを述べられている。それをカトリック教会のカテキズムに加筆するとも明言された。さらに、ローマに帰国した翌日の一般謁見でも今回の司牧訪問を振り返り、繰り返し核兵器への反対を力強く表明した。長崎と広島において核兵器廃絶を世界に訴えることが今回の来日の大きなねらいであったことは間違いないし、否定する必要もないだろう。
さて本稿では、東京カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック関口教会)で行われた「青年との集い」について取り上げてみたい。
日本の青年たちと触れ合うことに、教皇様自ら大きな意義を感じておられたのではないだろうか。というのは、ほかの会場では見られなかったと思われる、事前原稿にない言い加えが数多くあったからだ。その数は少なくとも16回にも上った。常日頃、原稿を読んでいる時よりも、ご自身の言葉で話している時のほうが生き生きとされている教皇様だが、いつもどおりの分かりやすい講話をさらに噛(か)み砕き、青年たち聴衆をメッセージへと招いた。
特に後半には、「分かりましたか」、「私の話はつまらない?」「もうすぐ終わります」と挟み込んだ。主催者発表によれば、当日、聖マリア大聖堂には約900人の青年がいたが、彼らを一体に巻き込んで、もはや講話というよりは対話だった(講話全文)。さまざまな切り口から人生の難問に立ち向かう補助線を与えてくれるのがフランシスコ教皇だ。
ところで、今回の教皇来日にあたって、日本の青年たちはただ待って、歓迎し、感動し、お見送りしたわけではない。
この日本の至るところに後継者問題が存在するように、教会も深刻な若者不足に喘(あえ)いでいる。歳入の7~8割を高齢の信徒が担っている小教区もあるという。10年後にはどうなってしまうのだろうか。そのような深刻な事態にあって、教会の問題をお客さんとしてではなく自分の問題として考えようとしている青年は少なくない。
自分たちでも何かできないか。そのように考える青年たちにとって今回の教皇来日は、仲間たちと共に困難に向き合う機会となった。そうして形となった活動の一つが「#フランシスコうぃる」だ。
公式サイトによれば、「事前勉強会と分かち合いを通じての、青年たちの霊的な準備」、「日本にいる青年たちの声を、教皇様に届ける」という二つの大きな柱を中心として活動した。東京では真生会館(新宿区)を中心として集会を重ね、また各地の青年たちが同じような活動ができるよう学習会資料を提供した。
集会に集まった青年たちは、聖書と、教皇のこれまでのメッセージと振る舞いについて学び、それを通して黙想し、心に思い浮かんだことを分かち合い、言葉にすることで声を集めた。また、遠隔地や青年会のない教会に所属する青年、種々の都合により集会に参加できない青年たちに対しては、祈りの中で出てきた言葉を送信してもらえるようにウェブサイトを整備した。
こうして集められた言葉はある程度集約され、さらに一部がスペイン語に翻訳されて、「青年との集い」で教皇に贈呈された法被(はっぴ)に印刷された。当日、これを羽織った教皇の姿は全国で話題となり、ツイッターのトレンド入りを果たすほどだった。ここで印刷された日本の青年たちの声は、「#フランシスコうぃる」のフェイスブック・ページにある(11月25日午後3時7分の投稿)。
「青年との集い」で直接教皇に問いを投げかけた3人の登壇者の発言は、今の日本の青年たちが抱える困難や悩みに深く共通するテーマだった。そして、その場所でフランシスコ教皇は青年たちの思いに応えてくださった。したがって、「#フランシスコうぃる」に限っていえば、その活動目的はすべて果たされたことになる。
しかし、これで終わるわけではない。この「青年との集い」を受けて、教皇のその思いに応えるのは日本の青年にほかならない。青年たちはそれぞれの思いを抱え、さまざまなかたちで霊的に準備してきたが、むしろここからがスタートなのだ。
問題は、教会の未来の財政に限らない。今回の教皇来日、「青年との集い」や教皇ミサをきっかけとして、同じ世代の青年たちが次々と動き出す、そのような「出来事」となることを願ってやまない。