牧会者の慰めとなる本が2冊、ほぼ同じタイミングで刊行された。塩谷直也氏(青山学院大学宗教主任)による『月曜日の復活 「説教」終えて日が暮れて』(日本キリスト教団出版局)』と、朝岡勝氏(日本同盟基督教団市原平安教会牧師)による『信じること、生きること 大人になった「僕」が、10代の「僕」に伝えたいこと』(いのちのことば社)。いずれも牧師としての〝壁〟に直面し、不器用にもがきつつ言葉を紡ぎ出してきた両者だけに、教会の現場で苦悩する同労者に寄り添う言葉があふれている。長年、塩谷作品の愛読者だったという朝岡氏の申し出により念願の対談が実現した。
犠牲にされた説教者
朝岡 長年、塩谷さんの著書を拝読してきた身として、ぜひお話をうかがいたいと思っていました。以前、「聖書の読み方」についての本を書きかけて、「信仰生活の手引き」シリーズの『聖書』(日本キリスト教団出版局)を読んで、もう書くべきことは書いてあったと筆を置いたことがあります。そして今回の新刊『月曜日の復活 「説教」終えて日が暮れて』(日本キリスト教団出版局)もたいへん興味深く、共感をもって読みました。そこでも触れられている、これまでの歩みについてうかがいたいと思います。
塩谷 朝岡さんの新刊『信じること、生きること 大人になった「僕」が、10代の「僕」に伝えたいこと』(いのちのことば社)を読んで、牧師家庭で育った朝岡さんとの違いで言えば、私の場合、親は警察官でカトリックの信徒だったんですが、ほとんど礼拝には行っておらず、家にあった聖書も新品なんですよ。国際基督教大学に入学して初めてプロテスタントの信仰に触れ、これはひょっとしたら人生をかけるに値する、面白そうだと感じて神学校に行きました。当時、最初に思い知ったのは自分が周回遅れだということです。すでにレースは始まっていて、途中から突然入っても多くが牧師家庭の子どもだったり、クリスチャンホーム育ちだったり……。編入学の時に聖書の成績が悪く、1年生のクラスからもう1回やり直したような自分に何ができるのか。もちろん勉強して追いつくことはできるけれども、付け焼き刃ではしっくり来ない。同学年の仲間たちが教会で学び、生活してきた間に自分は何をしていたか、教会の外でどう神様と出会ったのかということを、帰納的に考えなければいけない。自分の中の小さな体験が実は福音とリンクしているということを伝えれば、聞き手の思い出を引き出すことができると分かったんです。おそらく私にはそれしか語れない。
だから神学校でも、神学書を読んで理屈は分かるけれども、腑に落ちないことばかり。真面目に勉強はしたつもりですが、現場に出たら、学んだことが1、2カ月ぐらいでもう通用しなくなった。その時、初めて神学校で学んだことを捨てなきゃいけないと分かり、1回捨てて、代わりに何を拾うべきか分からなくて、そこでも模索していました。開拓伝道をしていた28歳ごろの経験などを書いたのが、最初の著書『迷っているけど着くはずだ』(新教出版社)です。まだSNSなどがない時代ですから、世界で自分がただ一人伝道しているという感覚なわけです。
朝岡 いわゆる「福音派」と呼ばれるグループの中で生まれ育ってきた人間からすると、まさに帰納的の真逆で、まず聖書ありき。そこにこちらを寄せていくような感覚で、その枠組を意識させられ続けて、結局、同じ枠にみんなはめられてしまい、個々人の独自なストーリーや生き方が削ぎ落とされてしまうように感じました。2年前に母が亡くなった時、兄弟4人で集まって、片付けながら子ども時代の話をしたのですが、同じ牧師館で育ち、同じ経験をしているはずなのに、みんな言うことが違うんですよ。そんなふうに思っていたのかとか、いや自分はこう思っていたとか、それはとても新鮮な体験で、だからやはりそういうことを丁寧に見る視点がとても大事だと思うんです。塩谷さんの本を読んでいると、いわゆる「いい話」を表面的に紹介するのではなく、もっと深いところでの出会いを、聖書と結び付けておられる洞察を感じます。
塩谷 教会には語り継がれる美談や伝説がいろいろありますが、それが慰めにならなかったんですよね。結局、『忘れ物のぬくもり』(女子パウロ会)の中にも書いていますけれども、父親が昇任試験に落ち続けて、警察に行けなかった朝、その弱い父親の姿を見ることを通してしか癒やされないものが何かあるんです。力強く後ろからポンと背中を押してほしい時もあるんですが、そうじゃない時の方が世界は広がったし、ステージが変わっていくんです。それは、自分自身の弱さを認めつつ、他者の弱さも受容していかなければならないという経験だったのかもしれません。その意味で大上段から語られた説教とか、教義的には問題がない「正しい」説教を聞かされた時に、自分にはできないなと思わされました。やはり説教者自身が満たされていないと、語り切ることはできても言葉が失速してしまうんです。
朝岡 新刊『月曜日の復活』は、説教者の誰もが感じてはいるけれども、表現しようのない感情や思いを、上手にすくい上げてくださったと思います。暴露話になりすぎると品がなくなるし、あまり理想的すぎると手にも取れない本になる。その絶妙な加減が秀逸でした。著書のタイトルにもなった「視点を変えて見てみれば」とあるように、見落とされがちな視点が、ある弱さや生きづらさを抱える人たちを見出してくれるように思いました。
塩谷 今までは極力、一般の人々に読んでもらえるようにと考えて書いた本が多かったのですが、牧師を読者対象にするという、かなり狭い領域にボールを投げるという挑戦は今回が初めてでした。結局、本にも書けないようなことは実際もっとたくさんあるわけですよ。傷ついてきた人、立ち上がれなかった人……。0か100かではなく、低空飛行であっても私たちは飛ぶ価値があるんだということを、どうにか伝えたかった。みんな破れを持ちながら、説教で語った内容を生きていけていない自分を知っているわけですね。誠実な説教者であれば。それでも語り続けるという私たちの歩みが、人々を励ます時があるんだと。
私は学校の教師になり、いつでも会衆席に座れるようになったことで見えてきたものがあります。これは決して批判ではなく、今朝、説教者は準備が万全にはできていないなとか、繰り返しが始まった時は、伝わっていないと感じているんだなとか……。あまりに説教が長いと、トイレに行きたくなって「もう終わった方がいいよ」と暗に合図を送るんですよ。そうしたら、よく聞いてくれていると勘違いされて、もっと長くなるとか(笑)。逆に会衆側にいて、牧師の痛みを見過ごしていていいのかという気持ちもある。
私は昭和生まれの人間ですから「24時間働けますか?」とか、「芸のためなら云々」とか、自分の生活を犠牲にして良いものを作るという価値観の残滓があるわけですね。牧師は使命感というものに非常に重きを置いているわけですが、見方を変えると「やりがい搾取」というか、高いサービスを無条件に要求されている。けれどもそれは、生活を犠牲にしてまでやることなのか。生活を犠牲にすると、必ず言葉が壊れていきます。これは信徒の方にも考えてほしい。信徒の方から「(この本に書かれている)牧師の苦悩なんて知りませんでした」という声を聞くことがあります。やっぱり分からないですよね。
朝岡 実は今、説教の聴き方についての本を書いているのですが、そのきっかけに、多くの教会の現実を見聞きしてきた経験があります。22歳から30年近く伝道者として歩んできて、いくつかの教会で牧師として奉仕し、東京での22年、そして特に東京基督教大学の法人理事長の立場になってからの3年は、ほぼ毎週日本全国、さまざまな教会をお訪ねするようになりました。そこで生き生きといのちが動いている教会と、逆にもうくたびれ果てて、牧師も信徒もどうしたらいいか分からないでいるような教会の現実も見てきました。僕自身も毎週、どこかの教会で説教はしているけれど、一つの群れで説教していない。
いつも初めて会う人たちの前で説教している。それも自分にとって危機感があって、昨年からは出席者10人ほどの小さな無牧の教会で、学校と兼任という前提でもよければお手伝いさせてくださいということで仕えているのですが、それがかえって自分にとっては支えになりました。
昨年の冬にいわゆる燃え尽きてしまい、メンタルに不調を来してしまい、立ち止まらざるを得なくなって約4カ月ぐらい休みました。少しずつ復帰はしつつありますが、人の集まるところに入っていくのがとても怖くなったのと、人前で話すということが難しく感じられて、自分はもしかしたらもう二度と説教ができなくなるんじゃないかと思いました。病気もきつかったんですが、そういう中で改めていろんなことを考えさせられて、やっぱりみ言葉は聞きたいんですよね。聖書を読むのがちょっときつくて、音で聞くならと思って、朗読の聖書を聞いたり、説教もいろんな教会がYouTubeにアップしてくださっているのでいろいろ聞いたんですが、僕にとって新鮮だったのは、カトリックの黙想会で司祭の話す話がなんだかすっと入ってきました。聖書を説き明かそうという気持ちがないと言うと言いすぎかもしれませんが、とても自由に語っていて、それが当時の自分には染み込んできた。今も復帰の途上なのですが、今年のイースターに、倒れてから5カ月ぶりぐらいに仕えている教会の礼拝で説教ができました。自分も嬉しかったし、教会の皆さんが「先生もイースターに復活できてよかったですね」と一緒に喜んでくれたのが何よりでした。今までどこかで自分の弱さを認めたくなかったわけですが、今回の経験でもともと脆かった器が粉々になり、絶対に修復不可能じゃないかと自分でも思うほどでした。それでも少しずつ回復へと進みながら、元通りになるかは分からないし、元通りになることがいいことかも分からないんですけど、自分の弱さを知るというか、もともとそうだったのに気づかずに傲慢でいただけだったかもしれないけれども、自分の中の説教観、説教者観、信仰観が変えられつつある途上で、先生の本を改めて読んで、また以前に読んだ時とは違う感慨があったんですよね。
対話ができない牧師たち
塩谷 精神科医のポール・トゥルニエが「医者は医者の立場を降りないと対話ができない」という言葉を残していますが、牧師も牧師の立場を降りないと対話できないと思うんですよ。牧師は24時間、牧師であり続けることが求められているし、それを内面化していきますから、結局、自分で自分を追い詰めてしまう。本当の対話って、実はできていないような気がします。聖書の情報を与えるという「聖書的」なコミュニケーションに関しては成功しているかもしれませんが、1人の人間として対話できていたかというと、僕自身も振り返って恥ずかしい経験がたくさんあるし、対話で行き詰まったら祈りでごまかしたことも正直ありますし、そういうことを考えると、自分自身の持っている肩書きから一度降りないと対等な会話はできないし、対話を通してその人自身が持っている力が花開いていく。最近、学生たちが自分磨きとかスキルアップに執着しがちですが、人間って磨き上げたり、積み上げることによって変わるんじゃなくて、壊れないと変わらないという側面があると思うんです。牧師は変えられてしまうことを非常に恐れている。日本宣教の中で、自分自身の考えが変えられてしまうとフロントランナーとして立っていけないという気持ちがありますから。出会いの中で変えられていく。でも、もし本当に神様が私を捉えているんだったら、大事なことは変えられるはずがないし、神様がそこは握っていらっしゃる。そこに立つしかないですね。
朝岡 牧師同士で、こういう会話は本当に少ないですね。自分の働きが何によって評価されるかよく分からない世界なので、いつの間にか自ら作り上げた評価の基準、あるいは受け継がれてきた何かに一生懸命近づこうという感じがあって、お互いライバルになってしまい、牧師にこそ弱みは見せたくないというメンタリティがあると思います。
塩谷 専門性というのはとても重要なんですが、同時にこれにしがみつけば他者と向き合わなくていいんですよね。人の状態を分析して、こうすればいいですねという風にして本当の痛みを共有するような対話はする必要がない。善きサマリア人のたとえで、傷ついた人の横を通る祭司やレビ人は専門家なんですよ。倒れた人は、彼らの専門領域外と考えているから通り過ぎる。でも、サマリア人は素人なので、わけも分からず助けてしまう。教会もむしろ専門性を持たない素人の方が、可能性を持って大きな働きや助けができる場合がある。専門性を持つ人間は、枠を作って自分の職域はここまで、と線引きをしないと自身の健康が守られないという面もありますが、守りすぎて結局、孤立してしまう。
今回、字数の関係で書けなかったんですが、40歳のころ、牧会していた時に本当に嫌になって、「とにかく牧師館に来るな」と口では言わないけれども態度で示すようにしたんですよ。何時から何時までは、とにかく私の時間として確保させてくださいと。それを教会員も守ってくれて、自分の時間と空間を保てるようになっていったんですが、同時に精神的な危機を迎えたんです。その時にちょうど、信濃町教会の牧師で後に自死した高倉徳太郎関連の書籍や文献を読み続けていました。彼は確かに尊敬される牧師であり、優れた神学者、リーダーだった。けれど多忙を極める中、他者と弱さを語り、共有できずに一人で突き進む。その孤立を深める高倉の姿は、恐ろしいほど当時の自分と重なりました。実は牧師のライフスタイルは、高倉の時代からあまり変わっていない気がします。どこから手をつけていいのか僕も分からないんです。まずこの本で、どうにかきっかけを作れればと願っていますが、本当に話し合うことができれば、まだ私たちには可能性が残っている。
朝岡 すれ違いを感じたんです。みんな自分たちの教会を愛しているし、福音を伝えるためにいろいろ取り組みたい。牧師もみんなに届く説教を語りたい。そのために時間も削り、決して怠けているわけでも手を抜いているわけでもない。だけど、届いていない。聞き手たちは毎週教会に来て、礼拝を忠実に守り、説教も聞いているけれども、み言葉が聞けないという飢え渇きを感じていて……。牧師は本当に孤立しやすいので、そのすれ違いがあるということをまず認めて、牧師も群れの1人として教会の交わりを喜んで、エンジョイする。みんなもあまり牧師を祭り上げすぎずに、1人の兄弟姉妹だという認識が必要だなと思ったんですよね。
塩谷 牧師も信徒もがんばって、お互い我慢比べになっている。でも、がんばっていれば必ず誰かが見ていてくれるという発想は、過労死につながるメンタリティですよ。誰も見てはいない。自分で「きつい」と言わないと、誰も分かってくれません。詩編だって、みんな「きつい」って叫んでいるじゃないですか。言葉化しないと分かってもらえない。心の中で唱えているだけでなく、みんなで共有しながら、その嘆きが賛美に向かっていくプロセスが提供されているはずなのに、最初の苦しいところは全部オミットして、賛美のところだけを礼拝堂で共有していたら、やはりどこかで無理が生じるのかなという気はします。
*対談の全文は9月11付紙面に掲載。