こんにちは。Taroです。
皆さん、イースターが何の日か知っていますか? そうです。キリストの復活記念日ですね。では、それは何月何日ですか?
……そう、だいたい春とは分かっていても正確に言える人はいないのではないでしょうか。実はクリスチャンでもイースターがいつなのか覚えていないことが多いのです。キリストの復活と言ったらクリスチャンにとって大切な日のような気がするのに一体どうしたことか? 今日はそんなイースターの不思議についてお話しましょう。
プロテスタント教会の信徒で新生宣教団の職員。前職から印刷に関わり活版印刷の最後の時代を知る。
趣味は読書(歴史や民俗学関係中心)。明治・江戸の世界が垣間見える寄席好き。カレー愛好者でインド・ネパールから松屋のカレーまでその守備範囲は広い。
イースターとは
イースターはキリスト教最重要の記念日
復活した姿をマグダラのマリアの前に現すイエス
イースターとは、皆さん知っての通りキリストの復活を記念する日ですね。キリスト教会にとってはクリスマス以上に大切な日とされています。
イエス・キリストは、この地上でおよそ33年の生涯を送り、最後には人々の罪を背負って十字架にかかり身代りの罰をお受けになりました。十字架上で死なれ、お墓に入れられました。それから3日目によみがえられて、40日間人々の前に現れ、今度は死を見ることなく天に引き上げられて行かれた、と聖書に書かれています。
わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している。
(1コリント15:3~6)
イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。
さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。……
……こう言い終わると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。
(使徒1:3、6、9)
たとえば、人々の身代わりに十字架にかかることが立派な行為だとしても、ただ死で終わるだけのものだったなら象徴的な出来事というだけで実効性はなく、尊敬はされても信仰の対象にはなりえなかったと思います。
イエス・キリストが死に打ち勝って復活されたからこそ、信じる者に罪からの贖いと死への勝利を約束されたと言えます。クリスチャンの信仰の原点は、古今東西、教派を問わずこのイエス・キリストの復活にあると言っても過言ではないのですね。
もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中でもっともあわれむべき存在となる。しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
(1コリント15:17~20)
ちなみに、初代教会の信徒たちの様子は新約聖書の「使徒の働き」によく見ることができるのですが、使徒たちが命がけで伝えたメッセージは、「イエス・キリストが復活の主である」「自分たちはその証人(目撃者)である」ということでした。命をかけてこのメッセージを語り続けられたのは、それは彼らが紛れもなく復活のキリストの目撃者だったからだと思うのです。
イースターは移動祭日
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