再びアメリカでチャプレンに 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第21回

アメリカに着いてから5カ月、チャプレン業を再開することができなかった。コロナパンデミック中に教会員のほとんどがいなくなってしまった教会の再生に奔走し、その中で記録的大雨により建物の雨漏りが止まらなくなってしまったからだ。けれどもアメリカ、日本、多くの人々の応援により、雨漏りは止まり、教会にも人々が再び集い始めてきた。

とうとう病院での聖職者、チャプレンの仕事を始める時が来たのだ。しかし、どこでどのようなチャプレンができるかは、何も決まっていなかった。振り返ると、何も決まっていないのに渡米してきた自分に驚く。提示されたポジションは何もないが、神が私に与えようとしている場があることを魂が確信しているからこそ、行動に移せるのかもしれない。

3年前、コロナパンデミックの最中に渡米し、コロナ病棟と精神科病棟で1年間働いた。帰国後は、日本ではこれまでチャプレンが存在しなかったホスピスや訪問診療の現場で2年間チャプレンをしてきた。次は何? どこだ??

漠然と、警察チャプレンがいいのではないかという気持ちがあった。警察署に付属するチャプレンとして、殺人事件や強盗事件など、さまざまな事件現場に警察官と共に赴き、被害者やその家族のケアをするのだ。または、刑務所内に収監されている人々の心のケアを行う
プリズンチャプレンの仕事にも大きな興味があった。とにかく私は未知の領域でチャプレンがしたかったのだ。

チャプレンの場を求めて私はいろいろな場所にコンタクトを取ったが、どこからも返事は一向に来なかった。日本では「即レス」という言葉があるくらい、全体的にビジネス分野では返信が早い。教会は分からないが……。けれどもアメリカでは即レスなどほぼなく、たいていの場合、返事が返ってこないことの方が多い。

そんな最中、かつての上司が働いている、ミネソタのレベル1トラウマセンターを有する大病院とコンタクトが取れた。訪ねてみると「もし興味があれば、チャプレンができる」とのこと。レベル1トラウマセンターとは、重大な外傷を負った患者が最初に運ばれる過酷な場所だ。交通事故や農作機に巻き込まれた事故、銃による事件の被害者など、極限の外傷を負った人々が最初に運ばれる。同病院には九つのヘリパッドがあり、24時間365日、絶え間なく患者が運ばれてくる。そのような病院でチャプレンをすることなど想像もしていなかったが、実際にその病院で働いているチャプレンや指導者に出会った時、私は即お願いしていた。「ぜひ、ここでチャプレンがしたいです」と。

理由は二つだ。一つは、このトラウマセンターという場所が未知の領域であること。そしてもう一つは、そこに信頼できる指導者(スーパーバイザー)がいて、スーパービジョンを受けられることだ。スーパービジョンは、臨床・対人援助職の世界で100年近くの歴史がある。対人援助者が指導者より教育、管理、支持を受けるものだ。

日本でも数十年前から福祉の分野で導入され始めたが、まだ定着しているとは言えない。対人援助という答えのない世界だからこそ、日々自分の働きや心の動きを他者の視点から見るスーパービジョンが必要なのだ。さもなければ、その他者のケアというこの上なく難しい働きが我流になってしまう危険性が大いにあるからだ。スーパービジョンでは、自分ができなかったこと、足りなかったことを仲間や上司の前で分かち合い、できていること、できていないことを言葉化してもらう。時に自分の隠し続けている弱さをさらけ出さなくてはならないこともあるし、建設的な批判を受けることもある。だが、この苦しみの時間を通してチャプレンたちは、自分の生育歴や過去のトラウマにも向き合い、そこから前に向かっていくのだ。自身の弱さやトラウマに向き合えなければ、他者のトラウマや弱さに寄り添うことはできない。

とにかく、アメリカに再び戻ってきて150日。私は未知なるレベル1トラウマセンターに向かっていくことになったのだ。

*個人情報保護のためエピソードはすべて再構成されています。

関野和寛 一時帰国講演予定

3月9日(日)宝塚ルーテル教会 午前10時半~

3月15日(土)ルーテル津田沼教会 午前10時半〜

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