1月27日「賢い者たち」

聖書の「馬鹿げている」の反意語は「賢い」だ。「賢い」とは生きるためのスキルを意味する。第一に「賢い」とは課題に対して正しい答えを知っている人を意味しない。そうではなく、他の人や神に対して正しい答えや関係を身に着けている人を指すのだ。賢い人々はこの世が如何に動くかを知っている人々だ。忍耐と愛、耳を傾けることと恵み、崇拝と美について知っている人々だ。他の人々が尊敬に値し、助けるに値する程に素晴らしい被造物ということを知っている人々だ。地球が丁寧に扱われ、満喫する程に見事で複雑な贈り物であるということを知っている人々だ。神が常に臨在し中心にあり、神が現実を一度も貶(けな)すことがなく、全てを取り囲む愛の神であることを知っている人々だ。わたしたちのために置いた神の国や王国や共同体や神に対して喜びを持って、上手く対応することが出来ない生き物はどこにもいないことを知っている人々だ。

賢い人々は愚かな人々に対して唯一つだけの癒ししかないことを知っている。自分自身の救いを願うように、他の人の救いを強く願う祈りだ。「どうか、イスラエルの救いが、シオンから起るように。」(詩編14編7節a)全ての人々が祝福の場に回復するまでは心身の健全さはないと納得するまでは、祈りにならない。「主が御自分の民を、捕らわれ人を連れ帰れるとき」【詩編14編7節b】さらに、共同体を獲得の場ではなく、祝いの場として捉える祈りである。「ヤコブは喜び躍り、イスラエルは喜び祝うだろう」【詩編14編7節c】

親愛なる友よ、わたしの知恵に注意深く耳を傾けよ、わたしの英知に。
 わたしが見る方法で身近に耳を傾けよ
そうすれば、分別の感覚を入手しよう
 わたしがあなたに話すことがあなたを問題から守るだろう。― 箴言5章1~2節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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