わたしたちのだれもが朝起きると、自分が人間と呼ばれる被造物に属していることを知る。そして、遅かれ早かれ、わたしたちは言語や単語で対応している者であることを知る。わたしたちは言語を使う素晴らしい唯一で巨大な被造物である。言語はわたしたち人間にとって固有なものである。
言葉を用いることなく、極めて手間のかかる有益な生態系を完成させる。バラは言葉を発することなく、見事な美しさと香りをもって世界を美しく飾る。犬たちは言葉を使わずに数万人のわたしたちに、忠誠心と愛嬌のある交わりを通して満足させる。鳥たちは言葉の機能を持たずに、わたしたちの精神を高揚し、わたしたちを幸せにし、わたしたちの耳に申し分のない音楽を奏でる。わたしたちの身の回りが言葉なしで起こっていることは実に素晴らしいことである。すなわち、海の潮流、山の山頂、嵐の気候、変遷する星座、遺伝子コード、渡り鳥の移動など ――
わたしたちが見たり聞いたりする多くは、実際、言語を使わず、無言で、信じられない程に複雑なものである。しかし、わたしたち人間は言葉を持つ。言葉を使うことが出来る。絶えず変化する魅力的な地質学、生物学、天文学のデーターにおいても言葉を使うのは唯一わたしたちだけである。わたしたちは人間以外の被造物と多くのことを共有している。周りにある全てと共通するものが、わたしたちには沢山ある。わたしたちが踏む土壌、身の回りにある動物たち、天にある星々、わたしたちはこのような家族の一体性という繋がりに気づいている。わたしたちの人間性を理解するためには、わたしたちは巨大な物ごとの体系の中で自分が言葉に関心を向ける存在であることに気づく。つまり、わたしたちは言葉を話すという事実と、わたしたちが言葉を話すと何かが起こるという事実を理解する必要がある。
美しさと善とが
わたしの心の土手から 溢れ出る
王の前で、わたしの詩を 残らず一部始終歌おう
心の中の感情の川を 言葉へと作り変えながら
― 詩編45編1節