「天」とは福音書と黙示録において(そして聖書全体を通して)わたしたちに一つのことを伝える隠喩(いんゆ)となっている。その一つのこととは「目に見えるものを遥かに超えるものが、ここに存在している」ということである。「目に見えるもの」を超えて、それを通して「目に見えないもの」がある。「目に見えないもの」は不思議なことに「つかみどころのなく、手の届かない場所」ではなく、わたしたちの目の前にあり、わたしたちの間にある。それは「神」である。 ―― 神の支配、神の愛、神の裁き、神の救い、神の慈しみ、神の恵み、神の癒し、神の知恵 ―― そうしたものが「まさに、ここにある」のである。
「天という言葉は隠喩(メタファー)だと、わたしは述べた。このことは「天」を非現実的なもとするのではない。今・ここで、わたしたちの五感で到達不可能なリアリティーとして、天を端的に理解することである……
それから、わたしが見ていると、
ああ ―― 天に開かれたドアがあった。
鳴り響くトランペットと、
幻の中から聞こえた最初の声が、こう叫んだ。
「ここへ上って来なさい。
さあ、入りなさい。
次に起こることをあなたに示そう。」
―― ヨハネの黙示録4章1節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。