わたしは「霊的形成 ―― 牧師の見解から」というテーマで講演を依頼される度に、多少の戸惑いを感じることを告白せざるを得ない。そのテーマについて話すことは何か「データの改ざん」なしには、上手く話が組み立てられない気がするからだ。それは丁度物理の実験に似ている。まず、その実験のために全く汚染されていない実験室が用意される。実験にあたる人たちの存在そのものが、データに歪(ゆが)みを与えてしまうということを、物理の実験を見ると分かる。それと同じく「霊的な形成」を語る際、「牧師の見解」は厄介なものなのだ。
わたしは道で出会ったり、わたしの話を聞く以外に誰も何かわたしを霊的に誇る者、愚か者として、わたしを過大に想像して欲しくない。
―― コリントの信徒への手紙(二)12章6節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。